齋藤昌三『藏書票の話』(東京 展望社・昭和5年)の附録ページに貼り込まれた、彩色木版の蔵書票。EX-LIBRIS の文字とクラブ柄の意匠、下部に「かやまさぶろう 横浜」と横書きの署名が入る。多色刷りで、赤・青・黄の色彩がまだ鮮やかに残っている
齋藤昌三『藏書票の話』のページに実物で貼り込まれた蔵書票——「かやまさぶろう 横浜」の彩色木版、EX-LIBRIS+クラブ柄の多色刷り。ページをめくって、まずこの一枚が目に飛び込んできました(店主撮影/2026年7月28日)

2026年7月28日、火曜日。この日は広島県福山市で、東西の2件——どちらも実家の遺品整理のご依頼で、出張買取に伺いました。そのなかに、静かに、しかしはっきりと味のある一冊が混じっていました。今日の記事は、その1冊——齋藤昌三『藏書票の話』(東京 展望社・昭和5年発行・500部限定)——だけを、じっくりご紹介します。

この本の何が特別なのか、先にひとことでお伝えしておきます。本の中に、二種類の「蔵書票」が入っている——という一点です。ひとつは、橋口五葉が描いた夏目漱石の蔵書票『讀書の女』(漱石著『漾虚集』明治39年所載)をはじめ、田山花袋・北原白秋・竹久夢二・小島烏水ら近代日本の文人に帰属する蔵書票が、印刷図版として収録されていること。もうひとつは、附録の作品掲載ページに、当時の蔵書票愛好家(藏票同好會・岡崎藏票會など)の作品が「実物」で貼り込まれていること。本文が「蔵書票の本」であると同時に、本自体が「蔵書票の展示台」にもなっている——そういう二重構造の一冊です。

この記事でわかること
・2026年7月28日、福山市の実家遺品整理2件の出張買取でご縁のあった1冊のお話
・齋藤昌三『藏書票の話』(東京 展望社・昭和5年・500部限定)の基本情報
・そもそも「蔵書印」と「蔵書票」はどう違うのか、という古書店の実感
・EX. LIBRIS =「予の蔵書の一」というラテン語の意味、著者の言葉で辿る蔵書票の起源
・本書の"二重構造"——本文で紹介される、文人たちに帰属する蔵書票(印刷図版)と、附録の作品ページに貼り込まれた同好会員の実物蔵書票
・[A]の筆頭・橋口五葉画『讀書の女』——漱石『漾虚集』(明治39年)所載、日本近代蔵書票史の初期事例
・田山花袋「木兎」(服部愿夫作)・北原白秋「正覺坊」(石井柏亭作)・竹久夢二「椿」(自畫)——版画家と所蔵者、それぞれの組み合わせ
・「団扇」(結城素明作/所蔵:丸善)——書店(法人)の蔵書票という、もうひとつの発見
・かやまさぶろう(横浜)・關場文庫 F.Sekiba・獨坐書屋 齋藤昌三——当時の蔵書票愛好家サークルに名を連ねていた人々
・東京府書籍館(TOKIOFU LIBRARY・1877年頃)——本のなかに閉じ込められた日本の図書館史の断片
・著者・齋藤昌三の情熱——「出版まで足かけ5年」の自序が語ること
・蔵書印は"所有の宣言"、蔵書票は"愛情の表明"——遺品整理で古書と向き合う仕事の話

福山東西の遺品整理2件——そのなかに紛れていた「静かな一冊」

2026年7月28日、火曜日。広島県福山市で東西の2件、いずれもご実家の遺品整理にともなう古書のご整理をお任せいただきました。夏の朝、呉の事務所からハイエースで福山へと向かいます。

ご遺族のお宅で、一冊ずつ丁寧に拝見していく、静かな遺品整理の一日。その途中で、ふと手が止まる本というのがあります。函から取り出して、ページをめくった瞬間に、「あ」と声が出るような。今日の主役は、そういうかたちで店主の手のなかに残った、1冊の本のお話です。

函から出した瞬間——「かやまさぶろう 横浜」の彩色木版

その本は、しっかりとしたに収められていました。函の前面には、青枠のなかに縦書きで「齋藤昌三著 藏書票の話 東京 展望社刊行」——格式のある題字が入っています。函自体は、時代なりに壊れそうな部分もあります。100年近い時間の経過があるので、そこは古書として自然なこと。

函から本体を、そっと引き出します。ページをめくっていくと、やがて目に飛び込んできたのが——冒頭にお見せしている、あの彩色木版の蔵書票でした。本のページに、実物の版画が糊で直接貼り込まれている——という作りでした。

デザインは、上部に「EX-LIBRIS」のラテン語、中央にクラブ柄(トランプのクローバー)を大胆に配し、下部には横書きで「かやまさぶろう 横浜」と手書き風の署名。多色刷りで、赤・青・黄・黒の色彩が、100年近く経った今もはっきりと残っています。木版の"版"のかすれまで、そのまま紙に定着していて、「これは印刷図版ではなく、実物の版画が貼られている」ということが、ひと目で分かるつくり。

ここで、店主の頭のなかに小さな驚きが走りました。「蔵書印は、年に何度も見るけれど……」——蔵書印は、日本の古書店で仕事をしていれば、月に何度も、年に何十回もお目にかかります。持ち主の名前の朱印、四角い雅号印、丸い蔵書印、大学や図書館の押印まで含めれば、本当にありふれた存在。本というものは、押される——それが日本の古書の一般的な光景です。

けれど、「蔵書票が"貼られている"本」を、この20年で何度見ただろうか、と考えてみて——手の指で数えられる程度、というのが、店主の正直な実感です。珍しい、というのが古書業界的なコンセンサスとしてある一方で、実際に自分の手元に来る本のなかで、蔵書票と出会うことは、本当に少ない。

その「珍しい蔵書票」が、しかも『藏書票の話』というタイトルの本のページに、多色刷りの木版で実物に貼り込まれている——本自体が、蔵書票という小さな版画を「見せる場」としてつくられている。そういう企図のこもった一冊でした。

本の基本情報——昭和5年、500部限定、超特製版と特製版

齋藤昌三『藏書票の話』の函の題字部分のアップ。青枠のなかに、右上から下へ縦書きで「齋藤昌三著 藏書票の話 東京 展望社刊行」の題字が入る。函の紙は経年により少しくたびれているが、印字はしっかり残っている
函の題字部分をアップで——青枠のなかに縦書きで「齋藤昌三著 藏書票の話 東京 展望社刊行」。昭和5年(1930年)刊行、東京・展望社(店主撮影/2026年7月28日)

本の基本情報を、まず整理しておきます。

  • 書名:藏書票の話
  • 著者:齋藤昌三(さいとう しょうぞう)
  • 発行所:東京 展望社
  • 発行年:昭和5年(1930年)
  • 限定部数:500部(うち超特製版10冊特製版490冊
  • 函の状態:時代なり、壊れそうな箇所あり
  • 本体の状態:シミ多数(100年前の本相当)
  • 貼付蔵書票の状態:きれい(色彩・紙質ともに良好)
  • 古書店値札:なし

500部限定という数字は、この本を語るうえでとても大切な数字です。著者・齋藤昌三が自序に書いているとおり、この本はもともと「特志家への提供」——つまり藏票同好會・岡崎藏票會といった蔵書票愛好家の同人サークルや、『書物展望』誌のような書物随筆の読者に、手渡されることを想定して作られた本です。「500部・超特製版10冊/特製版490冊」という二層構造も、その延長線上にある造本の判断。「これは、手にとって大切にしてくださる方だけに届けばいい本」——という、限定本という文化そのものを体現するかたちの本づくり。

そのうえで10冊だけが「超特製版」として、より豪華な仕様で作られ、残る490冊が「特製版」として頒布された、という構成。当店にご縁があったこの1冊が、10冊しかない超特製版なのか、490冊のうちの特製版なのか——これは奥付とほかの手掛かりから、あらためて詳しく調べたいところです。ただ、いずれにせよ「500部のうちの1冊」であることは、変わらない事実です。

本体を開いていくと、たしかに全体には時代なりのシミ(フォクシング)がまばらに広がっています。ただ、これは100年前の紙の本としては、むしろ普通の経年。特筆すべきは、貼り込まれた蔵書票の色彩が、驚くほど鮮やかに残っているということです。保存状態としては、蔵書票を主役に見ていくうえで、極めて良い状態と申し上げていいと思います。

蔵書印と蔵書票——似て非なる二つの文化

ここで少し、「蔵書印」と「蔵書票」の違いについて、古書店の店頭からの視点で整理しておきます。ご存じの方には迂遠な話かもしれませんが、この本の面白さを味わううえでは、外せない前提のお話です。

蔵書印(ぞうしょいん)とは、その名のとおり本に「押す」印章のことです。所有者の名前や雅号、ときには家紋や意匠を刻んだハンコを、朱肉で本に押す。ページの余白、扉裏、奥付、見返し——場所はさまざまですが、本を"所有している"ことを宣言する行為としての印。日本の江戸期以降、漢籍・和本の世界を中心に、圧倒的な広がりで根付いてきた文化です。

いっぽう蔵書票(ぞうしょひょう)は、本に「貼る」小さな版画のことです。あらかじめ紙に印刷(多くは木版・銅版・石版などの版画技法)した意匠を、本の見返しや扉裏にペタリと貼る。所有者の名前や意匠が入っている点は蔵書印と同じですが、表現手段が「押印」ではなく「版画」である、という一点が決定的に違います。

この違いが何を生むかというと——蔵書票は、そもそもが"作品"としての性格を強く帯びる、ということです。押印は、押した瞬間に完了する一回性の行為。いっぽう版画は、版を彫り、刷り、色を重ね、時に画家に依頼して意匠を起こす——つまり、蔵書票を1枚作るまでに、「本以外の、別の芸術的な工程」が挟まっているということです。だからこそ、蔵書票そのものが、独立した鑑賞・蒐集の対象になり得る。

ヨーロッパでは、この蔵書票文化が15世紀の活版印刷とほぼ同時期に立ち上がり、以後500年以上にわたって、版画愛好家と蔵書家をつなぐ独自の芸術ジャンルとして発展してきました。エミール・オルリック、トーマス・ビュイック、といった名前が、蔵書票史の教科書に出てきます(この本の本文にも、外国作家として何人か紹介されています)。

日本の場合は、蔵書印が圧倒的な主流であり、蔵書票は明治後期以降、西洋文化の輸入の一環として少しずつ広がっていった——というのが、この本『藏書票の話』を含む諸文献が語るところです。だからこそ、100年前の日本人が作った蔵書票が実物で貼られている本、というのは、「日本にも蔵書票の文化があった」ということの生きた証拠品でもあるわけです。

著者の言葉で辿る蔵書票の歴史——第二章第一節「藏書票の起源」

齋藤昌三『藏書票の話』の目次ページ。上段に第二章「藏書票の起源」「日本に於ける藏票史」「裝幀と藏票」、第三章「藏票の愛玩者と蒐集趣味」「日本藏票界の先覺と藏票會」「藏票を作る人々」、附録に「日本藏票會の作品概評」「藏票同好會の作品」「岡崎藏票會の作品」「藏票餘談」「挿繪並作品目録」の章立てが縦書きで印刷されている
『藏書票の話』の目次——第二章「藏書票の起源」「日本に於ける藏票史」「裝幀と藏票」、第三章「藏票の愛玩者と蒐集趣味」「日本藏票界の先覺と藏票會」「藏票を作る人々」、附録の「藏票同好會の作品」「岡崎藏票會の作品」——歴史・文化論・作品カタログが体系的に組まれている(店主撮影/2026年7月28日)

この本のいちばんの柱は、第二章第一節「藏書票の起源」です。ここで著者・齋藤昌三は、「EX. LIBRIS」というラテン語が何を意味するのか、そしてこの文化がいつ・どこで・誰から始まったのかを、当時の資料に基づいて、丁寧に整理しています。

店主がとくに大事に読んだのは、次の一節です。原文の旧仮名遣いはそのままに、漢字だけ現代字体で引用します。

蔵書票の原語は、前章第二節でも云ったやうに、EX. LIBRIS で「予の蔵書の一」の意であり、世界共通の羅典語である。今一二の英和字典を引いて見るとその解説には「本札、蔵書票(所蔵主の姓名及び紋章を記せる)表紙裏の張札」としてあるが、邦語字書には、これも前に云ったやうに未だ見当らない。

「予の蔵書の一」——このラテン語の直訳が、まず美しい。「私の蔵書のうちの、一冊」という宣言。所有者としての宣言でありながら、同時に「私はこの本を、私の書棚の一員として迎えました」という、本のほうへの敬意も感じる、そんなニュアンス。「予の蔵書の一」——この五文字の言葉を、店主はしばらく手元に留めておきたい、と思いました。

そして齋藤昌三は、続けて蔵書票の"始まり"について、こう書いています。

その初めは十五世紀の頃、伊太利のエルハルト・ラットールト Erhard Ratdolt が木版に付して発行したのが、一般化した最初で、かつ歴史的に明らかにされてゐる流行の創めであるらしい。此の時代のものは大抵、書籍所有主の紋章や徽章と装飾せられた周縁との図案から成つてをり、今日と同じやうに書物の表紙裏又は本文の第一頁に貼付せられたものである。

15世紀のイタリア、エルハルト・ラットールト Erhard Ratdolt が木版で発行したのが、蔵書票の"歴史的に明らかにされた"始まり——と、著者は述べています。15世紀のイタリアといえば、活版印刷が全ヨーロッパに広がり始めた、まさにその時期。グーテンベルクの42行聖書が1455年頃、そこから半世紀のあいだに、印刷文化はヨーロッパ全土に浸透していきます。

その、活版印刷が本を大量に生み出し始めた瞬間に、「その本を"私のもの"として印付けるための小さな版画」もまた、生まれていた——という事実。本という物体の"内面"と"外面"を、同時に印刷で仕上げ始めた時代、と言い換えてもいいかもしれません。蔵書票は、活版印刷という大きな革命の、ちいさな双子の兄弟のようなかたちで、この世界に登場していた。

そして齋藤昌三は、そこからもう一段、蔵書票文化が"深まる"きっかけについて、こう続けます。

それが書籍の種別毎に、異つたエキス・リブリスを貼るの流行を来たしたのは独逸が嚆矢で、之れも矢張り十五世紀の末期であつた。

「書籍の種別ごとに違う蔵書票を貼る」——これは、面白い一節です。1冊1冊ではなく、「哲学書用」「文学書用」「歴史書用」というふうに、書棚のなかのジャンルに応じて意匠を変えるという、いわば書棚を"分類する装置"としての蔵書票の使い方。15世紀末のドイツで、その"使い分け"の流行が始まった、というのです。

ここまで来ると、蔵書票は単なる所有印ではなく、「本と書棚と読み手のあいだを結ぶ、小さな図書館運営の道具」にまで、意味を広げていく——そのことがよく分かります。100年前の日本で、齋藤昌三は、この起源に立ち返って蔵書票の意味を書き起こしていた、というわけです。

この本の"二重構造"——印刷図版と、実物貼込

ここからが、この本の本当の面白さのお話です。『藏書票の話』という本は、"蔵書票について書いた本"であると同時に、"蔵書票そのものが貼り込まれた本"でもある——という、二重構造を持っています。

整理すると、こういうことです。

  • [A] 本文の図版として"印刷で"収録されている蔵書票——橋口五葉・服部愿夫・石井柏亭・織田一麿・長谷川潔・河合卯之助・廣川松五郎・結城素明ら版画家の作による、夏目漱石・田山花袋・北原白秋・小島烏水・日夏耿之介・川路柳虹・田中美風・田中清一ら文人(および丸善)に帰属する蔵書票が、印刷図版(複製)として本文中に掲載されている。「日本にはこんな蔵書票がありますよ」という蔵書票コレクションの記録としての側面。
  • [B] 本の物理的なページに"実物で"貼り込まれた蔵書票——附録の「藏票同好會の作品」「岡崎藏票會の作品」の各ページに、本物の版画が糊で貼り込まれている。同好会員が彫り、刷った版画が、そのままページに存在しているレイヤー。

[A]と[B]は、本のなかで、完全に別の役割を果たしています。[A]は「情報」として、印刷技術で複製されたもの。[B]は「物体」として、実際にそこにある版画の一葉。本を読むという行為のなかに、"複製の情報"と"実物の作品"が、ページをめくるごとに交互に現れる——そういう体験の設計を、齋藤昌三と展望社は、この本のなかに埋め込んでいたわけです。

「500部限定」という部数の意味も、ここで腑に落ちます。実物の版画を糊で1ページずつ貼り込んでいく作業を、大量部数でこなすことはできない造本の物理的な制約が、そのまま部数を決めている——限定本の文化の、本質的な理由がそこにあります。

[A] 印刷図版として収録された蔵書票——その筆頭、橋口五葉画『漾虚集』所載の一枚

『藏書票の話』本文中に印刷図版として収録された、橋口五葉作・夏目漱石所蔵の蔵書票『讀書の女』。着物姿の女性が椅子に腰かけて本を読む姿を、木版画特有の柔らかな線で描く。上部には「EX LIBRIS」の欧文、下部には「NATSUME」の署名。漱石著『漾虚集』(明治39年・大倉書店)に木版画として挿入された図案で、日本近代蔵書票史のごく初期の事例として知られる一枚
『藏書票の話』本文に印刷図版として収録された、橋口五葉作・夏目漱石所蔵の蔵書票『讀書の女』——漱石の短篇集『漾虚集』(明治39年・大倉書店)に木版画として挿入された図案で、日本近代蔵書票史のごく初期の事例のひとつ。EX LIBRIS の欧文と「NATSUME」の署名が入る(店主撮影/2026年7月28日)
『藏書票の話』の序文冒頭のページ。「書籍を一つの室とすれば、見返しは四壁に相當するだらう。見返しの意匠を壁紙のそれとすれば、貼られた藏書票は、壁間に掲げられた額である。」という一節が縦書きで印字されている。旧仮名遣い
『藏書票の話』の序文冒頭——「書籍を一つの室とすれば、見返しは四壁に相當するだらう。見返しの意匠を壁紙のそれとすれば、貼られた藏書票は、壁間に掲げられた額である。」という名文(店主撮影/2026年7月28日)

まずは[A] 印刷図版として本文に収録されている、文人たちに帰属する蔵書票から、ご紹介していきます。附録「挿繪並作品目録」のページから、日本人分を、山田さんが実物と目録を照合してくださった「作者(版画家)」と「所蔵者」のペアで、正しく書き出しておきます。

  • 「讀書の女」——作:橋口五葉/所蔵:夏目漱石(漱石著『漾虚集』明治39年所載)
  • 「木兎(みみずく)」——作:服部愿夫/所蔵:田山花袋
  • 「正覺坊」——作:石井柏亭/所蔵:北原白秋
  • 「石楠花」——作:織田一麿/所蔵:小島烏水
  • 「椿」——自畫/所蔵:竹久夢二
  • 「砂時計」——作:長谷川潔/所蔵:日夏耿之介
  • 「楯のひと」——自畫/所蔵:川路柳虹
  • 「加茂川畔」——作:河合卯之助/所蔵:田中美風
  • 「篝火のひと」——作:廣川松五郎/所蔵:田中清一
  • 「団扇」——作:結城素明/所蔵:丸善

ここでひとつ、大事なことをはっきり書いておきます。「作」と書かれている方は、意匠を彫った版画家であり、「所蔵」と書かれている方が、その蔵書票を自分の本の目印としていた蔵書家です。両者を混同してはいけない——これは、この本を通してあらためて教わった、蔵書票を語るうえでの基本のルールです。そしてもうひとつ、これらの蔵書票を「所蔵者が実際に自分の書棚の本に貼っていた」と断言する材料は、店主の手元にはありません。あくまで「その方に帰属する蔵書票の意匠として、齋藤昌三が本書に印刷図版で収録した」——というところまでを、事実として書き留めておきます。

まずこの目録の筆頭に来るべき一枚から、ご紹介します。橋口五葉画『讀書の女』——所蔵:夏目漱石。橋口五葉(1881-1921)は、漱石の『吾輩は猫である』『こゝろ』『三四郎』などの装幀を一手に手がけた、日本近代装幀史の第一人者。この『讀書の女』は、もともと漱石の第二短篇集『漾虚集』(明治39年・大倉書店)に、木版画として挿入された図案で、日本近代蔵書票史のごく初期の事例のひとつとして、たびたび言及されるものです。装幀者の橋口五葉が、装幀した相手である漱石その人に帰属する意匠を起こした——という、二人の仕事上の絆が、この一枚に凝縮されています。

そしてこの一枚が、齋藤昌三の本のなかに印刷図版として、はっきりと収められている。「装幀家と作家」「版画家と蔵書家」というふたつの関係が、同じ紙の上で重なっている——それだけで、この本を『藏書票の話』と名づけた著者の眼力を、あらためて感じます。

ほかの「作者と所蔵者のペア」にも、目を留めておきます。田山花袋「木兎(みみずく)」——作:服部愿夫。花袋の自然主義文学の系譜に、みみずくという夜の鳥の意匠。北原白秋「正覺坊」——作:石井柏亭。正覺坊とは大きなアオウミガメを指す古語で、『邪宗門』『思ひ出』の詩人と、明治後期から昭和にかけて活躍した洋画家・版画家との組み合わせ。小島烏水「石楠花」——作:織田一麿。日本山岳会の創立者で登山文学の祖である烏水と、版画家・随筆家の織田一麿。

そして、店主が今回いちばん「自分の初稿の記憶をきちんと訂正させていただかなければ」と思ったのが、この一枚です。竹久夢二「椿」——自畫夢二自身が、自分の蔵書票の意匠を、自分の手で描いていた——という一点。夢二という人が、絵と本と装幀のあいだを軽やかに行き来していた画家であることを思えば、これはとても自然な事実です。椿という花のかたちを、自分の書棚の目印として選ぶ夢二。「作」と「所蔵」がひとつに重なる、この本のなかでは数少ない例のひとつです(同じ「自畫」は、川路柳虹「楯のひと」にも見られます)。

続いて、日夏耿之介「砂時計」——作:長谷川潔。長谷川潔と言えば、フランスに渡ってメゾチント(銅版画)の巨匠となった、20世紀日本を代表する版画家。田中美風「加茂川畔」——作:河合卯之助。京焼の陶芸家として知られる河合卯之助の意匠。田中清一「篝火のひと」——作:廣川松五郎。工芸図案の道を歩んだ廣川松五郎の一枚。

——このように並べてみて、あらためて分かるのは、「作者(版画家)」と「所蔵者(蔵書家)」がそれぞれ別の顔ぶれで、ふたりで一枚の蔵書票をつくっていたという、明治後期〜大正〜昭和初期の日本の蔵書票文化の姿です。ひとつの意匠の背後に、ふたつの名前がある——齋藤昌三が本書の目録に、律儀に「作」と「所蔵」を並記した理由が、ここにあります。

そして忘れてはならないのが、海外作家の蔵書票も本文図版として紹介されていること——エミール・オルリック(Emil Orlik、欧州の版画家)、トーマス・ビュイック(Thomas Bewick、英国木口木版の始祖)、グラハム・ジョンストン(Graham Johnston、英国)、C. W. シャーボーン、カール・S・ユング、マックス・ゴッゲンベルガー、ウィルヘルム・マクソン、ゲオルグ・バルロージウス(讀書人)、F. H. エムケ(書架)、ポール・フォイクト(V W と本)——欧州の蔵書票史の主要人物が、ずらりと並んでいます。齋藤昌三は、日本の蔵書票を紹介するだけでなく、欧州の蔵書票文化の系譜も並べて見せることで、日本の蔵票を"世界の蔵票史のなかに位置づける"作業もしていた——ということが分かります。

[A]のなかのもうひとつの発見——「団扇」結城素明作/所蔵:丸善

目録をゆっくり眺めていて、もうひとつ、店主として声が出た一行があります。それは、「団扇——作:結城素明/所蔵:丸善」という一枚です。

丸善——ご存じ、明治2年に日本橋で創業し、日本の西洋書輸入と近代書店文化を牽引してきた、あの丸善です。作家個人ではなく、書店(法人)そのものが所蔵者として名を連ねた蔵書票が、この本にはきちんと収録されています。作は結城素明——日本画家で、東京美術学校教授も務めた人物。その素明が、丸善という書店のために「団扇」という意匠を起こしていた、というわけです。

実は本書の[B]の実物貼込のほうでも、後ほど触れる「東京府書籍館 TOKIOFU LIBRARY」という、組織(図書館)の貼札が出てきます。個人の蔵書票と並んで、組織の蔵書票——書店・図書館の"本にも印をつける仕事"——が、齋藤昌三の視野にはきちんと入っていたということです。「団扇」の丸善と、「東京府書籍館」の貼札——このふたつを並べて眺めると、蔵書票文化は個人の趣味だけでなく、本を扱うプロフェッショナルの仕事の場でも、静かに息づいていたことが分かります。

書店を営む立場としては、「100年前、丸善は日本画家に蔵書票を描いてもらっていた」という一事だけで、しばらく手が止まりました。当店・アッシュ書店にはまだ蔵書票はありませんが、いつか、店の名前で一枚、意匠を持てたら——そういう想いも、この本の一行が、静かに置いていってくれた気がします。

[B] 本に貼り込まれた実物の蔵書票——当時の蔵書票同好会員たちの手による一枚一枚

『藏書票の話』のページに実物で貼り込まれた蔵書票の一枚。朱色の魚と、その下に甲骨文字風の意匠、上部に「關場文庫」、下部に「F.Sekiba」の英字署名。木版の刷りで、朱と黒の二色刷り
『藏書票の話』のページに実物で貼り込まれた蔵書票——「關場文庫 F.Sekiba」。朱色の魚と甲骨文字風の意匠が組み合わさった、印象的な木版(店主撮影/2026年7月28日)

ここからが、[B] 本の各ページに実物で貼り込まれた蔵書票のお話です。[A]が「印刷図版」で複製された文豪たちの蔵書票だったのに対し、こちらは、紙のページに、糊で本物の版画が貼られているもの。同好会員が版を彫り、刷り、そして展望社が本づくりの工程のなかで貼り込んでいった——その作業の結果が、今もこの本のページに残っています。

当店にご縁のあった今回の一冊で、実物として貼り込まれている蔵書票のうち、主だったものを挙げてみます。

  • 「かやまさぶろう 横浜」——EX-LIBRIS+クラブ柄、多色刷りの彩色木版(冒頭写真)
  • 「關場文庫 F.Sekiba」——朱色の魚と甲骨文字風の意匠、二色刷り(上の写真)
  • 「獨坐書屋の主 齋藤昌三」——著者・齋藤昌三自身の蔵書票、モノクロ木版
  • 「東京府書籍館 TOKIOFU LIBRARY」——1877年頃と思われる、明治10年代の図書館貼札
  • 附録「藏票同好會の作品」「岡崎藏票會の作品」のページに、さらに多数の実物蔵書票が貼り込まれている

ここで、店主として、はっきり書いておかなければならないことがあります。これらの実物貼込の蔵書票は、[A]で紹介される夏目漱石・北原白秋・竹久夢二といった文豪たちの蔵書票と比べれば、一般には広く知られていない作家・所蔵者のものが多い——ということです。ただ、これは「無名」という意味では決してなく藏票同好會・岡崎藏票會・日本藏票會といった当時の蔵書票愛好家サークルのなかで、実際に手を動かして版画を彫り、蔵書票を貼っていた人々——蔵書票史・近代版画史の資料に名前が残る方も含まれている、そういう一枚一枚です。

ですから、「かやまさぶろう」「關場文庫」といった名前は、そこに書かれている名前として読める、というところまでで、店主はいったん立ち止まります。この方が誰で、どういう職業だったのか、有名な文人なのか、それとも横浜のいち愛書家だったのか——それは、店主が想像で格を上げて語るべきではありません。分からないことは、分からない——それが古書店主として、正直で信頼される態度だと、店主は思っています。

とはいえ、だからこそ、この[B]の実物貼込のほうに、店主は個人的に惹かれるのです。[A]の印刷図版は、"文豪の蔵書票を印刷で見る"という情報の複製としては、他の資料でも見ることができる。けれど[B]は、100年前の同好会員一人ひとりが、"自分の本のために"作った蔵書票が、そのままここに残っている——という、版画としての質感を伴った、実物のかたちだから。

「かやまさぶろう」——横浜、という地名だけが記されている、この方の日常はどんなものだったのか。クラブ柄(トランプのクローバー)を大胆に配した、多色刷りの木版。所有者は自分でこのデザインを選び、色を選び、版画家に頼んだのか、それとも自分で彫ったのか。「關場文庫」F.Sekibaの甲骨文字風の朱の魚——この意匠を選んだ心理は、どういうものだったのか。ひとつひとつが、100年前の蔵書票愛好家たちの、確かな痕跡です。

店主として、これらの実物蔵書票を、勝手に有名作家に結びつけることはしない。ただ、「ここに、こういう名前で、こういうデザインの蔵書票を、自分の本のために作った人がいた」——そのことを、100年後の書棚に、静かに置いておく。それが今日、この本が店主のところへ来た意味だと思っています。

東京府書籍館 TOKIOFU LIBRARY(1877年頃)——本のなかの日本の図書館史

[B]の実物貼込のなかで、店主が特に手が止まった一枚があります。「東京府書籍館」の貼札——上部に「TOKIOFU LIBRARY」の英字、下部には日本語で「東京府書籍館」、そしてClass(分類)/Div(区分)/Case(書棚番号)/Shelf(段)/No.(番号)の書き込み欄が、罫線で印刷されている一枚。書式は、完全に明治期の図書館貼札のかたちです。

東京府書籍館は、1872年(明治5年)に開設された、日本最初期の近代図書館のひとつ。のちに東京書籍館・東京図書館を経て、現在の国立国会図書館の系譜の源流のひとつにあたる機関です。1877年頃と推定される時期のこの貼札が、この『藏書票の話』のページに、実物として貼り込まれている——というのは、本のなかに、日本の図書館史そのものの断片が、物として閉じ込められているということです。

ここでも、店主は解釈を最小限にとどめておきたい。「なぜこの貼札が齋藤昌三の手元に集まり、そしてこの本に貼られたのか」——それは、当時の蔵書票愛好家たちの間で、こういう"広義の図書票"(正確には所蔵印の一種ですが、貼札という共通の形式を持つもの)もまた、蔵書票文化の周辺として意識されていた、という事情の反映であろう、と推測できる、というところまで。

ただ、こういう明治10年頃の図書館の貼札が、100年後の今、こうして店主のもとに巡ってきた——という一事に、古書の仕事のいちばん面白い部分があるのは、確かなことだと思います。

齋藤昌三の情熱——自序「足かけ五年」が語ること

『藏書票の話』の自序ページ。「『藏書票の話』は出るく〜と云つて、かけ聲許りでもう足かけ五年になつてゐる」「本書もほんの特志家への提供として、五百部に限定して置いた。その中、十册丈を超特製版にし、四百九十部を特製版としたが、無論市場に置いた」の一節が縦書きで印字されている
『藏書票の話』の自序——「足かけ五年」「五百部に限定」「十册丈を超特製版にし、四百九十部を特製版」の記載。この本が世に出るまでの、著者・齋藤昌三の苦労が、静かに書き残されています(店主撮影/2026年7月28日)

この本の自序(著者自身の序)には、『藏書票の話』が世に出るまでの苦労話が、静かな筆致で書かれています。原文をそのまま引用します。

『藏書票の話』は出るく〜と云つて、かけ聲許りでもう足かけ五年になつてゐる。……本書もほんの特志家への提供として、五百部に限定して置いた。その中、十册丈を超特製版にし、四百九十部を特製版としたが、無論市場に置いた。

「出るく〜と云つて、かけ聲許りでもう足かけ五年」——このユーモアと諦めの入り混じった書き出しに、本を1冊、世に出すことの難しさが、そのまま出ています。企画自体は5年前からあったのに、なかなか本にならない。何度も「もうすぐ出ますよ」と言い続けて、そのたびに延期になる。大正末〜昭和初期の出版事情が、そのまま滲む一節です。

そして「本書もほんの特志家への提供として、五百部に限定して置いた」——特志家という言葉が、当時の限定本文化の空気を強く伝えてきます。「特別に志(こころざし)のある方」——つまり本の内容を本当に大事にしてくださる読者だけに届けばいい、という、著者と版元の明確な姿勢。10冊の超特製版と、490冊の特製版という部数配分も、その延長線上にあります。

この自序のもう少し先には、当初この本の版元だった温故書屋が商況の悪化で放棄せざるを得なくなったこと、原圖の一部が紛失したこと、そして徳富蘇峰老先生からいただいた題字も宙に浮いたまま、というような、次々と重なる困難が、静かに書き記されています。それでも、「未だ日本には本格的に紹介されていない蔵書票文献」だからと、最終的に展望社が引き受けて出版に至った、という経緯。

500部という数字の重みを、店主はここでもう一度感じます。この500部が世に出るまでに、少なくとも5年の歳月と、幾つかの版元との交渉と、原圖の紛失と、それを乗り越える情熱があった。その結果としての500部のうちの1冊が、2026年7月28日、福山市のご遺族のお宅から、店主のもとへとやってきたわけです。

齋藤昌三という人——獨坐書屋の主

著者・齋藤昌三という方について、少し触れておきます。齋藤昌三(1887-1961)は、日本の書物研究の草分けのひとりとして知られる書物随筆家・書誌学者。「本のことを本のかたちで残す」ということに、生涯を捧げた人物です。『新古書店評判記』『書齋』『書物展望』など、書物文化の周辺を書きつづけた著作は多数あり、そのなかで『藏書票の話』は、日本における蔵書票文化の系譜を初めて本格的に整理した一冊として、いまも参照される仕事です。

そして、本書に実物で貼り込まれている蔵書票のなかに、「獨坐書屋の主 齋藤昌三」という一枚があります。獨坐書屋(どくざしょおく)——一人静かに座って本と向き合う書斎、という意味の号。齋藤昌三自身の蔵書票が、彼自身の書いた『藏書票の話』のなかに、実物で貼られている。著者と本と蔵書票が、円環をなすように結ばれている——この構造もまた、限定本ならではの、味わい深いところです。

本を"部屋"に喩える名文——序文冒頭

ここで、この本のもう一つの引用を紹介させてください。他者の手による序文の冒頭の、名文です。

書籍を一つの室とすれば、見返しは四壁に相當するだらう。見返しの意匠を壁紙のそれとすれば、貼られた藏書票は、壁間に掲げられた額である。

本を"部屋"に喩え、見返しを"四壁"に喩え、蔵書票を"壁に掛ける額"に喩える——この比喩の連鎖が、本当に美しい。本を開くという行為が、部屋に入る行為に重ねられる。見返しの意匠が、壁紙として認識される。そして、そこに貼られた蔵書票は、壁に掛かる一枚の絵として、部屋の空気を決めていく。

この比喩を胸に、あらためて[A]文豪たちの蔵書票を思い出してみます。夏目漱石の書斎に入っていく——見返しという壁には、「讀書の女」の額が掛かっている。北原白秋の書斎に入っていく——見返しという壁には、「正覺坊」(ウミガメ)の額が掛かっている。本を開くという行為が、その本の持ち主の"部屋"を訪ねる行為になる——という、この本の"読み方の設計"そのものが、序文の冒頭で提示されている。

そしてもちろん、この比喩は、[B]の実物貼込にこそ、いちばん強く効いてくる。かやまさぶろう横浜氏の書斎の壁には、多色刷りの「クラブ柄」の額が掛かっていた。關場文庫の書斎の壁には、朱色の魚の額が掛かっていた。100年前の蔵書票愛好家たちの、それぞれの"部屋"を、この本の1ページずつが、静かに再現している。

結び——遺品整理で古書と向き合う、ということ

今日、福山市のご遺族のお宅から、この『藏書票の話』1冊が、店主のところへとやってきました。この1冊が混じっていた——それだけで、今日という日は、店主にとって忘れられない一日になりました。

蔵書印が"所有の宣言"だとすれば、蔵書票は"愛情の表明"だと、店主はよく思います。押印は、素早く、機能的に、この本は自分のものだと明示する。けれど蔵書票は、そもそも自分で意匠を選び、版画家に頼み、あるいは自分で彫り、色を重ね、紙に刷り、糊で本に貼る——という、何段階もの手間を経る。その手間の一つひとつが、「この本を、それだけ大切に思っている」という、静かな愛情の表明になっている。

そして、蔵書票という文化は、「作る側(版画家)」と「持つ側(蔵書家)」のふたりの手を経て、はじめて一枚が成立する——という共同作業でもあります。橋口五葉と夏目漱石。服部愿夫と田山花袋。石井柏亭と北原白秋。織田一麿と小島烏水。長谷川潔と日夏耿之介。河合卯之助と田中美風。廣川松五郎と田中清一。結城素明と丸善。そして自分で描いた竹久夢二と川路柳虹。この本には、そういう「ふたりで一枚」あるいは「自分で一枚」の関係が、10組以上、静かに並んでいます

そして[B]の実物貼込のほうへ、あらためて目を戻します。かやまさぶろう横浜氏が、關場文庫が、そして獨坐書屋の主・齋藤昌三が、自分の本のために、それぞれのやり方で蔵書票を作り、そして貼っていた。「有名か無名か」は、蔵書票文化のなかでは本質的な軸ではない——という気がしてきます。大事なのは、「この本を、私の書棚の一員として、大切に迎え入れる」というその心そのもの「予の蔵書の一」——という、あのラテン語の宣言の、いちばん根っこにある心。

遺品整理で古書を扱う仕事は、前の持ち主の"本への向き合い方"に触れる仕事でもあります。今日この『藏書票の話』をお預かりできたご遺族の方も、この一冊を、大切に本棚の隅に置き続けてこられたのだと思います。その大切さの気配は、函の造作、本体の傷み具合、貼り込まれた蔵書票の残り方——本の全体から、静かに伝わってきました。

この本は、当店で査定を経て、店頭の在庫として、また次の読み手のところへとお繋ぎしていく予定です。500部限定の1冊が、次にどんな書棚に落ち着くのか——それは、店主の楽しみでもあり、責任でもあります。

——2026年7月28日、福山市。実家の遺品整理2件のうち、静かに、しかしはっきりと味のある1冊のお話でした。ご遺族の皆さま、そしてこの本を大切に持っておられたであろう故人に、心から感謝を申し上げます。

本日ご紹介した本(福山市・実家遺品整理)
・齋藤昌三『藏書票の話』(東京 展望社・昭和5年発行・500部限定・超特製版10冊/特製版490冊)
・貼込蔵書票(実物):かやまさぶろう(横浜)/關場文庫 F.Sekiba/獨坐書屋の主 齋藤昌三/東京府書籍館 TOKIOFU LIBRARY/附録「藏票同好會の作品」「岡崎藏票會の作品」各ページ
・本文図版に収録される、文人たちに帰属する蔵書票(印刷):橋口五葉画「讀書の女」/所蔵:夏目漱石(『漾虚集』明治39年所載)、服部愿夫画「木兎」/田山花袋、石井柏亭画「正覺坊」/北原白秋、織田一麿画「石楠花」/小島烏水、竹久夢二「椿」(自畫)、長谷川潔画「砂時計」/日夏耿之介、川路柳虹「楯のひと」(自畫)、河合卯之助画「加茂川畔」/田中美風、廣川松五郎画「篝火のひと」/田中清一、結城素明画「団扇」/所蔵:丸善(書店の蔵書票)
・状態:函 時代なり/本体 シミ多数/貼付蔵書票 きれい

福山市・広島県全域・広島市・呉市出張費・査定費すべて無料で対応しています。遺品整理・実家整理・引越し整理にともなう古書のご相談、限定本・美術書・画集・稀覯本のご整理、いずれも歓迎です。「大事に扱われてきた1冊がある」——そういうご相談ほど、当店は丁寧にお伺いいたします。

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