今日は、買取実績ではなく、当店に入ってきた1冊のご紹介です。
穂高健一『広島藩の志士 二十歳の英雄・高間省三物語』(南々社・2018年)。
以前の買取で入ってきた本です。帯の一言が気になって、まえがきを読みました。
帯の「倒幕の主役は広島藩だった!」に、目が止まりました
まず目に入ったのは、帯でした。
「倒幕の主役は広島藩だった!」
倒幕といえば、薩長同盟。正直に書くと、私はそれくらいしか知りませんでした。薩摩と長州が手を組んで、徳川幕府を倒した——学校で習ったのは、だいたいそこまでです。
そこに「広島藩」。
帯には、こうも書いてあります。「150年間封印された維新の真実が明らかにされる」、そして「『薩長芸』による倒幕秘史」。
薩長に「芸」。芸州、つまり広島藩です。
高間省三って、誰?
次に引っかかったのが、副題の名前でした。
「二十歳の英雄・高間省三物語」。
高間省三。聞いたことのない名前でした。表紙には、椅子に座った洋装の若い武士の写真があります。
まえがきによると、高間省三は文武にすぐれた若者。満二十歳で神機隊の砲隊長になり、戊辰戦争で東北へ向かいます。
そして「浪江の戦い」で命を落とします。
死の前日の手紙と、和歌3首
まえがきには、もうひとつ書かれていることがあります。
省三が死の前日、父親に送った手紙は、広島護国神社に現存するそうです。そして高間省三の遺品の数百点のなかには、省三を想う「綾」という女性の和歌3首がある。著者はその和歌を読み解いて、小説に組み込んだ、と書いています。
目次の第2章は「綾の涙」です。
裏表紙の写真は、銃と刀、そして「高間省三」と書かれた札でした。
「芸藩通志」じゃなくて、「藝藩志」?
3つ目に引っかかったのが、裏表紙の帯の一文です。
「本書は、この『藝藩志』をもとに書き下ろした歴史小説である」(「まえがき」より)。
『藝藩志』。
広島の古本屋がよく目にするのは、『芸藩通志』のほうです。どの版も、広島の古書店ならたいてい在庫がある本です。当店にもよく入ってきます。
「通」の一字がない。これは、別の本です。
芸藩通志は「江戸後期の広島藩の地誌」
- 完成:文政8年(1825)
- 編纂:頼杏坪ら(頼山陽の叔父)
- 中身:領内の地理・村・産業・人物・歴史などをまとめた地誌
- 規模:全159巻
藝藩志は「明治にまとめた浅野家の幕末史」
- 完成:明治42年(1909)。続く『藝藩志拾遺』は大正2年(1913)
- 編纂:旧広島藩士の橋本素助・川合鱗三
- 中身:嘉永6年(1853)6月から明治4年(1871)10月までの藩の出来事を、年ごとに記した家史
- 原本:藩主家の浅野家に伝わり、いまは広島市立図書館に寄託
- 活字の本:文献出版から1977〜78年に復刻(『藝藩志』第1〜22巻、『藝藩志拾遺』第23〜26巻)
1853年はペリー来航の年、1871年は廃藩置県の年です。幕末から藩がなくなるまでが、ちょうど『藝藩志』の範囲になります。神機隊も大政奉還も戊辰戦争も、その中に入っています。
帯によると、編さん委員には約300人が携わっていたそうです。
名前は一字違い。でも、片方は江戸後期の地図帳のような本、片方は幕末の記録でした。
芸藩通志の復刻版、3種類の見分け方
せっかくなので、よく入ってくる『芸藩通志』のほうも整理しておきます。お手元にある方は、冊数と奥付を見てみてください。
- もとの版:『藝備叢書』第1輯として、広島図書館・裳華房から明治40年〜大正4年(1907〜1915)に刊行。5冊
- 「芸藩通志」刊行会版:1963年(昭和38)。明治40年刊の復刻。3冊
- 芸備郷土誌刊行会版:1973年(昭和48)。『藝備叢書』版の復刻。5冊
- 国書刊行会版:広島図書館版の複製。5冊
3冊揃いなら1963年の刊行会版。5冊なら、奥付の出版者で見分けます。
まえがきを、ひとまとめにご紹介します
まえがきの見出しは「『薩長芸による倒幕』秘史をリアルに再現」。以下は、当店が読んでまとめたものです。
「明治維新は薩長倒幕によるもの」——その通説から始まります
まえがきの書き出しは、「明治維新は薩長倒幕によるものだと、日本中のだれもが信じて疑わない。」
——私も、そうでした。
ところが著者は、こう続けます。長州藩は、第二次長州征伐で藩内にふりかかった火の粉を追い払ったにすぎない。そのあとも朝敵のままで、となりの広島藩領にも、京の都にも行けなかった。王政復古で明治新政府が生まれたときも、京にいた長州藩の家臣は情報収集で潜伏していた数人だけだった——と。
では、そのあいだ、だれが動いていたのか。
拠りどころは、浅野家の家史『藝藩志』
著者が拠りどころにするのが、明治42(1909)年に完成した『藝藩志』です。編さん委員には約300人が携わった。そこには「倒幕のさきがけは広島藩だった」ことが実証的に記載されている、と著者は書いています。
戦争を止めようとした藩
まえがきが描く広島藩は、まず戦争を止めようとした藩です。
幕府と長州のあいだに入る周旋役を、どの藩も逃げ腰で引き受けないなか、広島藩の浅野家がその役を買って出る。第二次長州征伐には「征伐の大義がない」と反対し、戦争回避に動く。それでも戦いになり、広島藩の領民は大きな被害を受けた。
そして慶応2年(1866)9月、幕府と長州は宮島で休戦協定を結びます。
宮島。広島の人なら、誰でも行ったことのある場所です。
「こんな徳川幕府の周旋など、広島藩はもうやめよう」
それでも幕府は、第三次の長州征伐を言いだす。まえがきには、このとき広島藩が下した決断が書かれています。
「こんな徳川幕府の周旋など、広島藩はもうやめよう。」(「まえがき」より)
ここから広島藩は、大政奉還へ向かって走りだします。浅野家の藩校の頼山陽が著した『日本外史』を生んだ国柄から、藩論を尊王に統一。慶応3年(1867)正月には、土佐藩より10か月も早く、大政奉還の建白書を老中に出していた——とあります。
御手洗港、薩長芸、そして神機隊
次の手として広島藩が組んだのが、薩摩藩でした。両藩は御手洗港の密貿易で、もともと経済的に強く結びついていた。「経済が政治をうごかす」。
慶応3年9月、「薩長芸」の軍事同盟が成立します。同じ月、広島藩には西洋式の軍隊「神機隊」が結成される。農兵ではなく、職業軍人として、軍律の厳しい、最新銃をもった部隊を目指した。
御手洗港に集めた長州藩兵を薩芸の兵に偽装させ、西宮の大洲藩邸と淡路島沖の軍艦にとどめておく。そして12月9日の小御所会議で、薩芸のはたらきかけから長州の朝敵が外されると、長州藩兵はようやく大坂経由で上洛できた——。まえがきは、そう描いています。
なのに、なぜ「日和見」と言われたのか
ところが、ここで話が反転します。
翌慶応4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦いで、広島藩は「日和見主義」と言われ、立場をなくしてしまう。
そして、長州征伐の戦争には大反対した神機隊の300余人が、なぜ自費で戊辰戦争に参戦したのか。まえがきは、この問いを置きます。
浪江の戦い、二十歳の砲隊長
東北で神機隊が向き合ったのは、4000人前後の仙台・相馬藩兵。神機隊は一隊で、10倍もの敵兵を相手に戦いを展開する。
その最強部隊の砲隊長が、二十歳の高間省三でした。「浪江の戦い」で一番乗りをした、その瞬間に、敵の弾を受けて命を落とす。
そして、省三を想った「綾」という女性。著者は、「ふたりの運命は涙なくして読めないだろう」と書いています。
まえがきの結びは、「この小説が、幕末・維新で大きな役割を果たした広島藩に光を当てる契機となれば幸いである。」
御手洗は、いまの呉市
読みながら、目が止まった地名がありました。御手洗です。
御手洗は、いまの呉市(豊町)。当店の地元です。目次の第5章も「御手洗」でした。
頼山陽も出てきます。10月2日の呉市の記事で、中村真一郎『頼山陽とその時代』(中央公論社)をお譲りいただいたばかりでした。芸藩通志を編んだ頼杏坪は、その頼山陽の叔父です。
この本は「歴史小説」です
ひとつ、書き添えておきます。
この本は、『藝藩志』をもとに書き下ろした歴史小説です。帯の「倒幕の主役は広島藩だった!」も、ここでまとめたまえがきの内容も、著者・穂高健一さんの見方として書かれています。
倒幕といえば薩長同盟くらいしか知らなかった私は、面白そうだなと思いました。
目次から
章の題を並べてみます。
- 第1章 老中を殺せ
- 第2章 綾の涙
- 第3章 学問所の蜂起
- 第4章 芸州口の戦い
- 第5章 御手洗
- 第6章 大政奉還
- 第7章 3藩進発
- 第8章 綾の想い
- 第9章 神機隊出陣
- 第10章 会津追討
- 第11章 彰義隊
- 第12章 奥州へ
- 第13章 宿す幾千代
- 第14章 広野の戦い
- 第15章 子供を大事にしてやれ
- 第16章 浪江に死す
- エピローグ/あとがき
第5章が「御手洗」。章の題になっていました。
第2章「綾の涙」と、第8章「綾の想い」。綾の名前が、2つの章に出てきます。
第9章「神機隊出陣」のあとに、「会津追討」「彰義隊」「奥州へ」。まえがきにある、神機隊の上野戦争(江戸)、奥州戦争への参戦が、章の題に並んでいます。
そして最後の章が「浪江に死す」。
広島の著者が、広島の版元から
著者・穂高健一さんは大崎上島町の出身
カバーの著者略歴によると、穂高健一さんは広島県大崎上島町の出身。純文学・推理小説・歴史小説を書かれ、広島市内で「幕末芸州広島藩研究会」を開いて講師を務めておられる方です。
大崎上島は、御手洗のある大崎下島の、すぐ隣の島です。
2014年『二十歳の炎』の新装版
目次の下の注記によると、この本は2014年に日新報道から出た『二十歳の炎』を改題して、新装版で再刊したものです。
- 書名:広島藩の志士 二十歳の英雄・高間省三物語
- 著者:穂高健一
- 発行所:有限会社 南々社(広島市東区)
- 発行:2018年3月15日 初版第一刷
- ISBN:978-4-86489-081-6
ISBNの「86489」——8月の『広島、1945』の続き
ISBNの真ん中、86489。
8月にご紹介した南々社『広島、1945——生きていた広島』と、同じ版元番号です。
あの記事で書いたとおり、南々社は2012年8月にこの番号を取り、その000番に『広島、1945』を置きました。
今回の本は、081番です。
000番から5年半あまりで、81番目の本です。
芸藩志をはじめ、広島の郷土・歴史の本の買取をお待ちしております
今回の1冊は、『藝藩志』という一冊の史料から生まれた歴史小説でした。
広島には、こういう本がたくさんあります。『芸藩通志』の各版、『藝藩志』の復刻、市町村史・郡誌・郷土誌、広島の版元の本、広島の著者の本、そして郷土の歴史を描いた小説。
お手元に、こうした広島の郷土や歴史の本がありましたら、ぜひ一度、当店にお声がけください。揃っていなくても、分類していなくても、そのままで結構です。
芸藩志をはじめ、広島の郷土や歴史の書籍の買取をお待ちしております。
よくあるご質問
『芸藩通志』と『藝藩志』は同じ本ですか?
別の本です。『芸藩通志』は、頼山陽の叔父・頼杏坪らが編纂し、文政8年(1825)に完成した広島藩の地誌(全159巻)です。領内の地理・村・産業・人物などをまとめたものです。『藝藩志』は、旧広島藩士の橋本素助・川合鱗三が編纂し、明治42年(1909)に完成した浅野家の家史で、嘉永6年(1853)6月から明治4年(1871)10月までの出来事を年ごとに記したものです。名前は似ていますが、時代も中身も違います。穂高健一『広島藩の志士』がもとにしたのは、後者の『藝藩志』です。
芸藩通志の復刻版は、どうやって見分けますか?
冊数と奥付で見分けます。もとになったのは、明治40年から大正4年にかけて広島図書館・裳華房から『藝備叢書』第1輯として出た5冊本です。その復刻として、1963年の「芸藩通志」刊行会版(3冊)、1973年の芸備郷土誌刊行会版(5冊)、国書刊行会版(5冊)があります。3冊揃いなら1963年の刊行会版、5冊揃いなら奥付の出版者で見分けます。どの版も、広島の古書店ならたいてい在庫がある本です。
芸藩通志を持っていますが、全巻揃っていなくても見てもらえますか?
拝見します。揃っていても、何冊か欠けていても、まずはそのままお見せください。正直にお伝えしますと、芸藩通志は広島の古書店ではよく見かける本で、珍しい本ではありません。ほかの郷土史の本や、市町村史・郡誌とまとめて拝見できれば、より具体的にお話しできます。
広島藩や幕末の歴史を扱った本も買取していますか?
お引き受けします。今回ご紹介した穂高健一『広島藩の志士』(南々社)のような郷土の歴史小説も、『芸藩通志』や『藝藩志』の復刻のような史料も、市町村史・郡誌・郷土誌も拝見します。広島の版元の本、広島の著者の本も拝見します。分類せず、そのままお見せください。
まとめ
当店に入ってきた穂高健一『広島藩の志士 二十歳の英雄・高間省三物語』(南々社・2018年3月15日 初版第一刷)。
引っかかったのは3つでした。帯の「倒幕の主役は広島藩だった!」。副題の高間省三という、知らなかった名前。そして、よく入ってくる『芸藩通志』ではなく、『藝藩志』をもとにした歴史小説だということ。
『芸藩通志』は文政8年(1825)完成の地誌、『藝藩志』は明治42年(1909)完成の浅野家の幕末史。一字違いで、まったく別の本でした。
まえがきには、宮島の休戦協定、御手洗港、神機隊、そして浪江で倒れた二十歳の砲隊長。広島の著者が、広島の版元から出した、広島藩の本です。