南々社編『広島、1945——生きていた広島』(南々社・2012年8月6日発行)の表紙。セピアがかったモノクロの集合写真、鉢巻きを締めたセーラー服の女学生たちが正面を見つめている。上部に金色の小さな文字で「生きていた広島」、白抜きの大きな文字で「広島、1945」の題字
南々社編『広島、1945——生きていた広島』(南々社・2012年8月6日発行)表紙。1945年3月、動員先の東洋工業(現マツダ)で行われた広島女学院高等女学校の卒業式(店主撮影/2026年8月1日)

2026年8月1日、土曜日。この日は広島市西区で買取のご依頼がありました。段ボール2箱分買取させてもらった中に、気になる1冊がありました。

その本の何が気になったのか。まずは表紙です。セピアがかったモノクロの集合写真、鉢巻きを締めたセーラー服の女学生たち。そして題字は「生きていた広島」——過去形

本を裏返し、奥付を確認して、静かに息を呑みました。

今日の記事は、この1冊——南々社編『広島、1945——生きていた広島』(南々社・2012年8月6日発行)——のご紹介です。

この記事でわかること
・2026年8月1日(土)、広島市西区の買取でご縁のあった1冊のお話
・南々社編『広島、1945——生きていた広島』(南々社・2012年8月6日発行)の基本情報
・タイトル「生きていた」の過去形が持つ、二重の意味
・奥付が語ること——広島の版元・広島の印刷所・8月6日発行・ISBN 000番の意味
・ISBN(国際標準図書番号)のしくみと、版元番号の桁数による書名番号の上限
・南々社の刊行史——旧番号 931524 の 99番使い切り、新番号 86489 の 000番として世に出た本
・まえがきに書かれた「東日本大震災の東北とオーバーラップ」という編集意図
・8・6以前の広島の五つの顔——商都・学都・軍都・銃後の支え・学徒動員
・そして、8月6日8時15分——第2部「8・6以後の広島」の構成
・表紙のセーラー服の少女たちの正体——1945年3月、広島女学院高等女学校の卒業式(於:東洋工業)
・呉の古本屋がこの本を手にする意味——広島原爆・呉大空襲・東日本大震災の三つの記憶

『広島、1945』——「生きていた」という過去形

本のサイズは、B5判の横向き。18×26cm弱の、少し変わった判型です。厚みは1cmほど、意外なほど薄い1冊。

横向きの造本というのは、パノラマ写真や集合写真を見開きで大きく見せるための設計です。手に取ってページをめくると、当時の広島の街並みや、被爆後の焼け跡が、横に広がる視野で読者の前に立ち上がってくる——そういう本の姿かたちです。

そして、表紙。

鉢巻きを締めたセーラー服の女学生たちが、静かに正面を見つめている集合写真。その上に、金色の小さな文字で 「生きていた広島」、そして白抜きの大きな文字で 「広島、1945」

「生きていた」——過去形です。

なぜ過去形なのか。少し考えると、この題字には二重の意味があることに気づきます。

ひとつは、原爆で失われる前の広島。1945年8月6日、8時15分より前の、日常があった広島。「生きていた」は、その日常への過去形の視線です。

もうひとつは、原爆の後も生き続けた広島。「生きていた」を「生きぬいた」に近い意味で読むと、この題字は、被爆から立ち上がった街への挨拶にもなります。

——過去形の一語に、「失われた日常」と「生きぬいた記録」の両方が畳み込まれている。

そのことに気づいたとき、この本の重量が、ぐっと手のひらに伝わってきました。

奥付を確認して、息を呑んだ

南々社『広島、1945』の奥付ページ。「広島、1945」の題字、2012年8月6日 初版第1刷発行、編・著 南々社編集部、発行者 西元俊典、発行所 有限会社 南々社(広島市東区山根町27-2)、印刷製本所 株式会社 秀巧堂クリエイト、ISBN978-4-86489-000-7 の記載
『広島、1945』奥付ページ。発行日 2012年8月6日、発行所 有限会社南々社(広島市東区)、印刷製本所 秀巧堂クリエイト、ISBN 978-4-86489-000-7(店主撮影/2026年8月1日)

奥付を開くと、そこには四つの事実が並んでいました。

  • 発行所:有限会社 南々社(広島市東区山根町27-2)——広島の版元
  • 印刷製本:株式会社 秀巧堂クリエイト——広島の印刷所
  • 発行日:2012年8月6日——原爆投下から67年目のその日
  • ISBN:978-4-86489-000-7——版元番号「86489」の、末尾000番

……ISBN の末尾、000番です。

ここで少し、ISBN のしくみに寄り道させてください。この本の背景を読み解く、大事な鍵になります。

ISBN(国際標準図書番号)のしくみ

書籍の裏表紙や奥付にある 「978-〇-〇〇〇〇〇-〇〇〇-〇」 の13桁の番号を、ISBN と言います。世界中の本を一意に識別するための番号で、次のように分解できます。

978 - 4 - 86489 - 000 - 7
[1]  [2]   [3]   [4]  [5]

[1] 接頭部    : 書籍を示す (978 or 979)
[2] 国・言語圏 : 4 = 日本
[3] 版元番号  : 出版社ごとに割り振られる (南々社の場合 86489)
[4] 書名番号  : 版元が自社で振る通し番号
[5] チェックデジット : 誤読防止の計算値

[3] 版元番号 の桁数によって、[4] 書名番号 の桁数が変わります。

  • 版元番号が 5桁(中規模)→ 書名番号は3桁、最大 1,000冊分
  • 版元番号が 6桁(小規模)→ 書名番号は2桁、最大 100冊分
  • 版元番号が 7桁(極小規模)→ 書名番号は1桁、最大 10冊分

版元番号と書名番号を合わせて、常に 合計 8桁になる設計です。100冊、あるいは1,000冊を出しきると、新しい版元番号を追加で取得する必要があります

この、ISBN の版元番号の"上限"を頭に置いて、南々社の刊行史をたどってみます。

南々社の刊行史——旧番号を使い切り、新番号を始めた月

南々社は、これより前から広島で出版活動を続けてきた版元です。1999年から2012年8月まで、旧版元番号「931524」で本を刊行してきました。この旧番号は6桁——つまり、書名番号は 00 から 99 まで、100冊分しか振れません。

南々社は、この旧番号の100冊を、13年かけて使い切りました。

  • 4-931524-00-1:『迷ったときの医者選び広島』(河口栄二 著/1999年6月)——旧番号の最初の一冊
  • 4-931524-09-5:『旅の達人、地球を歩く』(清水正弘 著/南々社ブックレット1/2002年3月)
  • 4-931524-13-3:『広島快食案内』(シャオヘイ 著/2003年1月)
  • …(間、多数の刊行物)…
  • 978-4-931524-99-6:『男たちの修道 Shudo Junior & High School』(井川樹 著/2012年8月)——旧番号の最後の一冊

そして——同じ2012年8月、南々社は新しい版元番号ブロック「86489」を取得しました。100冊を使い切って、まっさらな新しい章を始めたことになります。

その新しい章の 「000番」——最初の一冊 として世に出されたのが、この『広島、1945』でした。

  • 978-4-86489-000-7『広島、1945——生きていた広島』(南々社編集部 編・著/2012年8月6日
  • 978-4-86489-001-4:『みるきくたべる祭ーリズム 中四国を歩く』(小沢康甫 著/2012年8月)
  • 978-4-86489-002-1:『30+2分で、夢が実現する勉強法』(中塩秀樹 著/南々社新書 N001/2012年8月)

直後に、001番、002番と続いて刊行されています。002番から始まる「南々社新書」という新レーベルも、この時に立ち上がっているのです。

——つまり、2012年8月は、南々社にとって、版元としての新しい章がまるごと始まった月でした。旧番号を使い切り、新番号を取得し、新書レーベルを立ち上げた月。

その、たくさんの「新しさ」の 最初の1ページ に、南々社は『広島、1945』を置きました。

新書レーベルの1冊目ではない。特別な位置——000番——に置かれた。

  • 発行日は、2012年8月6日
  • 発行所は、広島の版元 南々社
  • 印刷は、広島の秀巧堂クリエイト
  • そして、新しい版元番号ブロックの、最初の書名番号「000」

これらの事実が、偶然の重なりであるはずがありません。版元が新しい章を始めるにあたって、その最初のページを、この一冊に譲った——奥付の一枚から、そのことが静かに伝わってきます。

まえがき——震災の年に、広島から東北へ

南々社『広島、1945』のまえがき見開き。大きな縦書きの見出し「生きていた広島 東日本大震災の東北とオーバーラップ そのとき、広島市民は、どう生き抜いたのか」。左上には筆書きの「Living Hiroshima」の英字、右上には赤い「復興」の判子と「復興の旗」の小さな注釈。本文には昭和20年8月6日の原爆の記述、35万人・14万人の犠牲、死の街から立ち上がる広島市民の姿
『広島、1945』まえがき見開き。「東日本大震災の東北とオーバーラップ そのとき、広島市民は、どう生き抜いたのか」——この本の編集意図が、まえがきの見出しに凝縮されている(店主撮影/2026年8月1日)

奥付から、まえがきへ。

見開きに大きく縦書きで、こう書かれていました。

生きていた広島
東日本大震災の東北とオーバーラップ
そのとき、広島市民は、どう生き抜いたのか

——東日本大震災

そこで、この本の刊行時期の意味が、はっきり見えてきました。

2012年。それは、東日本大震災(2011年3月11日)から 1年4ヶ月後 です。まだ日本中が、東北の被災地の映像を毎日のように目にしていた時期。「東北はどう立ち上がるのか」を、みんなが息を潜めて見守っていた時期。

その時に、広島の版元が、67年前の広島の写真138枚を編んで、「うちの街は、こう立ち上がった」という一冊を世に出した。

まえがきには、こうも書かれています。

昭和20(1945)年8月6日、広島に落とされた原子爆弾は、その強烈な熱線や爆風・放射線で、多くの広島市民(当時約35万人)を、12月までに約14万人死亡と推定、一瞬のうちに消し去り、「死の街」に塗り替えてしまったのだ。

しかし市民は立ち上がっていく。そのとき、人々は、どんな苦しみに直面し、どう生き抜いたのか。

「しかし市民は立ち上がっていく」——この一文が、この本の芯です。

そして、その芯を、震災の年の東北に手渡そうとしていた

タイトル『広島、1945』は、単なる原爆写真集の題名ではなかった。これは、2012年の日本への、広島からの手紙だったのです。

目次が語る、五つの顔の広島

南々社『広島、1945』の目次ページ。第1部「8・6以前の広島」(大正中期〜昭和20年)の章立て:I. 商都として(中島地区・現平和記念公園、本通、紙屋町・八丁堀・新天地、市内点描)、II. 学都として、III. 軍都として。左ページには第2部「8・6以後の広島」(昭和20年8月6日〜12月末)の VI. 被爆の実相「一瞬で死の街に」の記載
『広島、1945』目次。第1部「8・6以前の広島」は5章、第2部「8・6以後の広島」は4章+写真出典で構成される(店主撮影/2026年8月1日)

目次を開いて、編集の設計が見えました。

第1部「8・6以前の広島」(大正中期〜昭和20年)は、以下の五つの章で構成されています。

  • I. 商都として(中島地区=現平和記念公園、本通、紙屋町・八丁堀・新天地、市内点描)
  • II. 学都として
  • III. 軍都として
  • IV. 銃後の支え
  • V. 学徒動員

——広島は、一つの顔で戦争を迎えたのではなかった、ということです。

商都として賑わっていた広島。中島地区(現・平和記念公園の一帯)は、当時、繁華街でした。本通、紙屋町、八丁堀、新天地——今も広島市内で耳にする地名が、当時どんな街だったのか、この本は写真で見せてくれます。

学都として、多くの学校を抱えていた広島。軍都として、宇品港をはじめ、国家の軍事機能を担っていた広島。

銃後の支え——戦場に行かない人たち(女性・高齢者・子ども・軍需工場の労働者)の日常。この章が独立していることで、本書は「軍都・広島」だけで戦時中の広島を語ろうとしていないことがわかります。

そして、学徒動員。中学生・女学生が学校を離れ、軍需工場や建物疎開作業に動員されていった記録。

経済の顔・知の顔・国家の顔・市民生活の顔・そして未来(若者)の顔。五つのレイヤーが、それぞれに日常を持ち、それぞれに戦時色に染まっていった。

——そのすべてが、1945年8月6日 8時15分に、一瞬で消える

そして、8月6日8時15分——第2部の構成

第2部「8・6以後の広島」(昭和20年8月6日〜12月末)は、四つの章と、写真の出典一覧で構成されています。

  • VI. 被爆の実相——一瞬で死の街に
  • VII. 救援・救護・捜索——弔う
  • VIII. 復旧・復興への兆し——日常の回復
  • IX. 被爆調査

VI. の副題「一瞬で死の街に」

第1部で描かれた五つの顔——商都、学都、軍都、銃後の支え、学徒動員——その全てが、この四文字で消える

しかし、この本は「死の街」で終わりません。

VII. 弔う——生き残った人々が、亡くなった人々を弔う時間。
VIII. 日常の回復——復旧・復興への兆しが、少しずつ見えてくる時間。

この構成は、まえがきの 「しかし市民は立ち上がっていく」 という一文を、138枚の写真で証明しようとする 編集の意志そのものです。

「被爆の実相」だけで終わる本ではない。「弔い」があり、「日常の回復」がある。その全体が、一冊の本になっている

表紙の少女たちは、誰だったのか

南々社『広島、1945』の表紙集合写真を寄って撮影したもの。鉢巻きを締めたセーラー服の女学生たちが4段に整列している。前列は膝の上で手を組み、中列・後列は正面を見つめる。1945年3月、動員先の東洋工業(現マツダ)で行われた広島女学院高等女学校の卒業式
表紙の集合写真、寄って見ると一人ひとりの表情が読める。この少女たちは、誰なのか(店主撮影/2026年8月1日)

目次を確認し、第1部の構造がわかったところで、もう一度表紙に戻ります。

この少女たちは、誰だったのか。

本の巻末に、表紙写真の解説が載っていました。

南々社『広島、1945』巻末のカバー表写真の解説文。「カバー表写真①【昭和20(1945)年3月の広島女学院高等女学校の卒業式(於:東洋工業)】昭和19(1944)年の「学徒動員実施要綱」により、同校の生徒たちも各地の工場に動員された。写真は、動員先の東洋工業(現マツダ)で行われた卒業式。女生徒たちの鉢巻に終戦の年の緊迫感がうかがえる。」の記載
表紙写真の解説——1945年3月、動員先の東洋工業での卒業式(『広島、1945』巻末より・店主撮影)
【昭和20(1945)年3月の広島女学院高等女学校の卒業式(於:東洋工業)】

昭和19(1944)年の「学徒動員実施要綱」により、同校の生徒たちも各地の工場に動員された。写真は、動員先の東洋工業(現マツダ)で行われた卒業式。女生徒たちの鉢巻に終戦の年の緊迫感がうかがえる。

——1945年3月。原爆投下の、5ヶ月前

普通の卒業式なら、学校の講堂で、正装で行われるはずです。しかしこの少女たちは、動員先の東洋工業(現マツダ)の工場で、鉢巻きを締めたまま、卒業式を迎えました。

学校には帰らず、動員先で「卒業」を迎える。それが、1945年3月の広島の女学生の姿だったのです。

そして——広島女学院高等女学校

この学校は、8月6日の原爆で 多数の生徒が犠牲になった学校 のひとつとして知られています。校内には慰霊碑が建てられ、毎年、慰霊祭が行われています。

ただ——写真に映っているこの少女たちが、その5ヶ月後にどこでどうしていたかは、この一枚からはわかりません。3月に卒業しているのです。進学した人、実家に戻った人、動員先が変わった人、県外へ嫁いだ人——8月6日、広島市内にいたとは限らない。ひとりひとりの「その後」は、この写真の外側にあります。

写真に寄って、少女たちの顔を、もう一度見てみます。目線をわずかに外している少女。唇を強く結んでいる少女。最上段で、少し遠慮がちに縮こまっている少女。それぞれの表情に、それぞれの1945年3月がある。

——ただ、はっきりしていることが一つあります。

この少女たちの全員が、5ヶ月後に自分たちの街に何が起こるかを、この時点では知らない。学校の講堂ではなく工場で、正装ではなく鉢巻きで、卒業式に臨んだ——1945年3月の広島は、そういう街だったということ。それだけは、この一枚が確かに記録しています。

——表紙のこの一枚が、この本全体の入り口として置かれた理由が、ここでようやく腑に落ちました。

南々社は、138枚のなかから、この一枚を表紙に選んだ。それはおそらく、「8月6日以前の、ふだんの広島」——第1部のテーマそのものを、一枚で言い切れる写真だったから。笑顔ではない卒業写真。それが「生きていた広島」の入り口として置かれています。

そして、この一冊は、その顔とともに、「新しい版元番号ブロックの000番」という位置を与えられて世に出た。

——奥付を確認したときの、あの静かな衝撃の意味が、ここでもう一度立ち上がってきます。

結び——一冊の本が繋ぐ、三つの記憶

時々こういう本と出会います。

手に取って、静かに1時間ほど眺めていたくなる本。

『広島、1945』は、まさにその一冊でした。

改めて、この本が繋いでいる記憶を整理すると、三つあります。

1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾。

1945年7月1日〜2日、呉市を襲った呉大空襲。当店のある呉も、あの夜、焼けた街です。

2011年3月11日、東日本大震災。1万5千人を超える命が失われ、街々が津波にさらわれました。

——この三つの記憶を、南々社は2012年に、一冊の本として繋いだ

そして今、その本が、67年前の広島の隣、呉の古本屋の店主の手のなかにあります。

一冊の本は、時代を超えて、記憶を運ぶ器です。

1945年3月、鉢巻きを締めて卒業式に臨んだ広島女学院の少女たち。
2011年3月、東北の被災地で瓦礫の中に立った人々。
そして、2026年8月6日を目前に、この本を静かに手にしている、呉の古本屋。

——それらが、この一冊のなかで、静かに繋がっている。

8月6日8時15分を、今年も静かに迎えたいと思います。

本日ご紹介した本
・南々社編『広島、1945——生きていた広島』(南々社・2012年8月6日 初版第1刷)
・ISBN: 978-4-86489-000-7(南々社の新版元番号ブロックの、最初の書名番号「000」)
・判型: B5判横向き(約18×26cm)・約1cm厚
・収録写真: 138枚(ほぼモノクロ)
・構成: 第1部「8・6以前の広島」(I. 商都・II. 学都・III. 軍都・IV. 銃後の支え・V. 学徒動員)/第2部「8・6以後の広島」(VI. 被爆の実相・VII. 救援救護捜索・VIII. 復旧復興への兆し・IX. 被爆調査)/写真撮影者・所蔵先・提供先
・状態: きれい・帯なし・書き込みなし・線引きなし

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