本日の店主のひとこと
「5月25日に事前訪問、5月30日に本引き取り第1弾でお伺いした呉市内のお宅へ、本日完結編のお引き取りに伺ってまいりました。本日お預かりしたのは段ボール10箱——鉄道関係のムック本、戦記単行本、そして蒸気機関車のレコードまで。重さの関係で台車も無理が利かず、分割しながらの搬出。終了後にはお母様から冷たいペットボトルのお茶と缶コーヒーを頂戴し、『自宅にもまだ蔵書がございます』とのお声まで。お父様が大切にされていた蔵書を、ここに完結としてお引き受けいたしました」
2026年6月6日、本日は呉市内のお宅へ、本引き取りの完結編としてお伺いしてまいりました。5月25日の事前訪問、そして5月30日の本引き取り第1弾から続いてきた、お父様の蔵書整理の最終回です。第1弾の記事の末尾に「残りは翌週改めて」と書かせていただきましたが、その「翌週」が本日。お母様・お嬢様にお迎えいただいて、残りの蔵書を最後までお引き受けすることが叶いました。
本日のお引き受け量は、段ボール10箱。今回は冊数で数えるのをやめて、箱の数で記録させていただきました。鉄道関係のムック本、戦記の単行本、そして第1弾では出てこなかった意外な一品——蒸気機関車のレコード。重量はそれなりのもので、お宅から坂下に停めた車までの距離、そして坂を下りながら台車を扱う安全のことを考えると、台車一回で全部運ぶのは現実的でない。2〜3箱ずつに分割して、何往復もする段取りでお引き取りいたしました。
この記事でわかること
・2026年6月6日/呉市内・本引き取り(完結編)の現場感
・段ボール10箱——鉄道関係ムック本・戦記単行本・蒸気機関車レコード
・呉駅前からめがね橋〜美術館通り(海軍病院坂)〜入船山記念館〜呉海軍病院跡石碑までの動線
・お父様邸の最寄りは元海軍軍医少将 金井泉書「呉海軍病院跡」石碑の手前
・重量分割搬出という、急坂のある呉ならではの段取り
・終了後のお母様から、冷たいペットボトルのお茶と缶コーヒー、そして「自宅にもまだ蔵書がございます」とのお声
・本物の遺構と、演出されたレトロが共存する呉の街並み
・5/25事前訪問、5/30第1弾、6/6完結編——三幕構成で完結した一連の本引き取りの締めくくり
第1章:本日のルート——呉駅前から、めがね橋を抜けて
本日のお宅は、第1弾(5/30)と同じ呉市内のお宅です。「車の入れない急坂の上のお宅」という条件は変わりませんが、本日は「めがね橋」と通称される交差点から美術館通りに入り、海軍病院坂を通るルートで向かいました。第1弾は別ルートでお伺いしたので、今回はあえてこちらから——歩いていて気持ちのよい、呉らしい景色が連なる道だからです。
呉駅前から国道31号線を東へ進み、本通1丁目交差点を右折(南)して少し走ると、ほどなくしてこの交差点に行き当たります。
この交差点は、呉という街の「重層性」が一枚の絵に収まっている場所だと、いつも歩きながら思います。「めがね橋」——この名は、かつて呉鎮守府の海軍第一門前に架けられていた橋に由来します(別名「境橋」、明治21年(1888年)竣工)。第一門で市民区域と海軍区域を分かつ「境」に立つ橋だったので、そう呼ばれました。実は頭上の呉線高架とはまったく別の構造物で、橋そのものは昭和10年(1935年)の青山クラブ改築工事に伴う敷地拡張で埋立てられ、今も地中に当時の姿のまま遺構として眠っています。(『ブラタモリ』でも紹介されていた通り、呉市民の中にも頭上の呉線鉄橋を「めがね橋」だと思っている方がいらっしゃるそうで——詳しくは「失われた呉を辿る」シリーズの第2回・眼鏡橋編で改めて。) 先日の第1回(戦前絵はがき・四ツ道路)でも触れた通り、呉郷土史家・上田繁氏(1899-1973)が遺された『眼鏡橋往来』(1974年、中国新聞連載の追悼出版)というタイトルにも、この名前は刻まれています。郷土史の本の名前が、今もそのまま信号機の上に掲げられている——呉の街は、こういう古い名前を生きたまま残してくれています。
頭上を横切るグレーの鉄橋は、JR呉線の高架です。こちらは昭和2年(1927年)に呉~三原間の鉄道敷設のため第一門道路上に設置が決定された別系統の構造物——「めがね橋」とは由来も時代も異なります。あの上を、列車が静かに通過していく。右手に見える赤レンガ調の小さなビルは、「KURE GATE」と看板の掛かった、昔風建築の飲食店ビル。左手にちらりと写っているクラシックな水色のバスは、ご覧いただいた通り、大和ミュージアム周遊バスツアー「れんがどおりコース」のボンネットバス(企画:一般社団法人ツーリズムKURE、旅行企画・実施:JTB広島支店、土・日・祝に運行、22名定員、2,000円、※7〜9月は運休)。先日たまたまネットでくれとりっぷ(呉市公式観光サイト)の特集記事を読んでいて、このバスの正体を改めて知ったところでした。
めがね橋交差点に重なる、呉という街の三層
この一枚の写真の中に、呉の街並みの三つの層が同時に映り込んでいます。
- 本物の遺構の層:めがね橋(海軍第一門前の境橋・明治21年・現在は地中)、呉線高架(昭和2年計画)、青山クラブ——明治・大正・昭和初期からの街の骨格
- 演出されたレトロの層:KURE GATE(昔風建築の小ビル)、ボンネットバス(現代の観光ツアー車両、れんがどおりコース)——観光資源として再構築された呉
- 現役の生活景の層:時差式信号機、信号待ちの車、歩行者、現代の街路——今を生きる呉の日常
古本買取の出張で街を歩いていると、こういう「街の地層」が見えてくる瞬間がときどきあります。本を運び出すために通った道が、たまたまそういう場所だった。それだけのことなのですが、20年やっていると、こうした動線と街並みの記憶もまた、仕事の一部だと感じるようになりました。
第2章:めがね橋から青山クラブを左に見て、美術館通りへ折れる
めがね橋交差点を北西方向に歩いていくと、すぐ左手に大きな赤い建物が見えてきます。「青山クラブ」——かつて呉海軍下士官兵集会所として明治36年(1903年)に建てられ、昭和11年(1936年)に建て替えられた、呉の海軍記憶を体現する一級の歴史建築です。戦後は英連邦占領軍が「呉ハウス」として利用し、昭和33年(1958年)からは海上自衛隊が呉集会所として、平成29年(2017年)まで使用していました。現在は呉市が管理しています。
本日は、この青山クラブの角を右へ折れて、美術館通りに入ります。美術館通りには、呉市立美術館(黒川紀章設計)が立地していて、通り沿いには黒川晃彦氏の彫刻「切り株に座って」など、街路彫刻が点在する文化的な並木道です。そして同時に、この通りは「海軍病院坂」とも呼ばれる、ゆるやかに上っていく坂道でもあります。
青山クラブのことや、海軍病院坂の標柱のこと、そして美術館通りの街路彫刻のこと——これらについては、いずれ「失われた呉を辿る」シリーズの第2回・眼鏡橋編で、改めてじっくりと書かせていただこうと考えております。本日の記事は本引き取りの完結編として、お父様の蔵書のお話を中心に進めさせていただきます。歩いた動線として、「めがね橋から青山クラブ角を曲がって美術館通り(海軍病院坂)を上った」とだけ、まずは記録しておきます。
第3章:海軍病院坂を上りきると、入船山記念館・練兵場跡・呉海軍病院跡石碑
美術館通り(海軍病院坂)を、車でゆっくり上っていきます。お父様邸はここからさらに山の方へ上がった先。車窓越しに、鎮守府時代から今に受け継がれている呉の街並みを眺めながら、坂を上っていく道のりです。
坂を上りきったところで、左手に大きな緑の敷地が見えてきます。入船山記念館の正門です。入船山記念館は、旧呉鎮守府司令長官官舎(明治38年・1905年築)を中心とした歴史記念施設で、国の重要文化財も含む呉海軍関連の中核施設。広島県内でも屈指の旧海軍関連史跡です。
そして、入船山記念館の反対側、右手側は——かつての呉海軍練兵場跡。今は入船山公園として整備されていますが、明治・大正・昭和の旧海軍時代、ここでは将兵の訓練が日々行われていたわけです。
本日も、車窓越しに見える練兵場跡のグラウンドでは、小さな子供たちがソフトボールの練習か試合をしていました。ピッチャーのフォーム、バットを振る姿、監督の掛け声——明治の軍人さんたちが訓練していたその同じ場所で、令和の子供たちが現代の「訓練」をしている。面白いもので、店主の「練兵場」の記憶も、読んだ本や人から聞いた話ではなく、ソフトボール大会と、学生時代の体育の授業で冬になると練兵場の周りを走らされたマラソンの思い出しかありません。【練兵場の名前は残ったまま、使われ方は昭和・平成・令和と世代ごとに書き換えられている】——これも、街の記憶の上手な伝え方の一つだと思います。
そして、その真正面。坂を上りきった、入船山記念館の正門と練兵場跡の間に、ひっそりと、しかし堂々と——本日の冒頭で写真を載せた「呉海軍病院跡」石碑が、立っていらっしゃるのです。(なお、本日の石碑の写真は、現場の買取作業がすべて終わった後に、帰り道で車を脇に寄せて撮りに降りた一枚です)
呉海軍病院跡石碑——「元海軍軍医少将 金井 泉書」
御影石(花崗岩)にしっかりと刻まれた、「呉海軍病院跡」の四文字。その下に小さく、「元海軍軍医少将 金井 泉書」(かない いずみ・しょ)の揮毫者銘。呉海軍病院は、旧日本海軍が呉鎮守府開庁(明治22年)に伴って設置した海軍直轄の病院で、海軍将兵およびその家族の医療を担いました。戦後は国立呉病院(現・国立病院機構 呉医療センター)へと系譜が引き継がれ、現在もこの近隣で地域医療の中核を担っています。
揮毫者の金井泉氏は、旧海軍の軍医少将。お名前で検索すると、戦後の医学界・薬学界でもご活躍された方であることが分かります。「元海軍軍医少将」と肩書きが付された揮毫が、令和の今もこうしてしっかり残っている——それが石碑というメディアの強さです。
お父様邸はここからさらに山の方へ。石碑の前を車で通り過ぎながら、肌で感じるのは呉という街の重層性。海軍病院坂を上りきってからの呉の街は、海軍ゆかりの史跡・近代呉の風景・現役の住宅地が混ざりあっていて、車で走っているだけでも、呉という街がどんな層の重なりになっているかが自然と伝わってくる場所です。お父様が大切にされていた戦記の蔵書、艦艇写真集、呉郷土史の本(5/30に第1弾としてお引き受けしたもの)、そして本日お引き受けする鉄道関係のムック本・蒸気機関車のレコード——これらすべての蔵書は、こうした呉の街並みの中で、お父様の本棚に並んでいたのだと思うと、本日の動線そのものが一冊の本を読むような気持ちになりました。
本棚というのは、その方が暮らしてこられた「街」と切り離して読むことができません。第1弾の記事で、店主はお父様の蔵書を見て「戦記を集めていらしたというより、呉という街そのものを集めていらした」と書きましたが、本日めがね橋から海軍病院坂までを車で通ってみて、その推測は街の景色とも見事に重なりました。お父様の呉という街への愛着は、暮らしの中で日々この街並みを眺めて積み重ねられたものだったのだろう——と、改めて感じ入った次第です。
第4章:本日お引き受けした蔵書——段ボール10箱
さて、お宅に到着してご挨拶を済ませ、本日お引き受けする蔵書を拝見させていただきました。本日の蔵書は、玄関先の和室に、本棚から取り出して平積みに並べておいていただいていた状態。お母様とお嬢様で事前にご準備いただいていたようで、これは本当にありがたいこと。蔵書をジャンルごとに見分けながら、店主が持参した折りたたみコンテナ(通称オリコン・オリコンテナー)に詰めていきます。古本買取の現場では、厳密には段ボールというより折りたたみコンテナを使うことの方が多いのですが、本記事では読みやすさのため以下も「箱」として表記させていただきます。
本日の蔵書三本柱
- 鉄道関係のムック本(複数の出版社・複数のシリーズ、A4変型〜B5判の大判中心)
- 戦記の単行本(第1弾でお引き受けした分の続き、戦艦大和もの・呉空襲・太平洋戦争関連)
- 蒸気機関車のレコード(LP・SP盤、複数枚)
合わせて、ぎゅっと詰めて段ボール10箱。一箱の重量は、本だけの箱で15kg〜20kg程度、レコードを含む箱はもう少し重め。古本買取の現場では、「人が安全に持てる重さ」を一箱の上限にしておくのが鉄則です。第1弾の現場で「重量を見誤って台車に押されて足を取られかける場面があった」反省も踏まえて、本日は最初から一箱の重量を控えめに、その代わり箱数を増やす段取りで準備してまいりました。
鉄道関係のムック本——第1弾のRM LIBRARYとは別のラインナップ
5月30日の第1弾では、ネコ・パブリッシング『RM LIBRARY』(10〜60番台で約30冊)・蒸気機関車ムック・1970〜80年代の時刻表 約10冊・『最盛期の国鉄車両3 新性能直流電車』『'68'69 国鉄新車ガイドブック』などをお引き受けいたしました。本日お引き受けしたのは、それらとは別の出版社・別のシリーズの鉄道ムック本群です。複数の出版社から出ていた、形式別・路線別・年代別の鉄道専門ムック——ここでも、お父様の鉄道趣味の幅と深さが改めて伝わってきます。
蔵書というのは、第1弾だけ見て「これくらいのコレクションかな」と当たりをつけても、第2弾でその想定を軽々と上回ってくることがあります。お父様の鉄道蔵書は、まさにそれでした。RM LIBRARYだけでも約30冊、それに加えて他社の鉄道ムックがさらに10箱の一部を占める——「いつから、どこで、どうやって集められていたのだろう」と、本を箱に詰めながら何度も思いました。
戦記の単行本——第1弾の続き
戦記単行本も、第1弾でだいぶお預かりしておりましたが、本日の書斎にはまだ続きが残っておりました。戦艦大和もの(呉海軍工廠で建造された艦艇)、太平洋戦争の各戦線別の戦記、呉空襲・呉戦災関連——第1弾の記事でも書かせていただいた通り、お父様の蔵書は「戦記」というカテゴリよりも、「呉という街の時間」を縦に貫いて集めていらしたように見えます。本日の追加分も、その推測を裏付けるラインナップでした。
蒸気機関車のレコード——本日いちばんの「予想外」
そして、本日の蔵書で店主がいちばん驚いたのが、蒸気機関車のレコードです。これは第1弾の本引き取りでは出てこなかったジャンルで、本日初めて拝見いたしました。
蒸気機関車のレコード——「鉄道録音」の世界
蒸気機関車のレコードとは、その名の通り、SL(蒸気機関車)の走行音・汽笛・蒸気の音などを録音したレコード盤です。鉄道趣味の世界には、写真撮影派(撮り鉄)、車両研究派、模型派、路線歩き派など、いろいろなジャンルがありますが、その中でも「鉄道録音」は、戦後の昭和40〜50年代に一定のファン層を持っていた、コアな趣味の領域です。1975年(昭和50年)に最後の定期蒸気機関車が引退(室蘭本線)した時期を前後して、「失われゆくSLの音を、レコードという形で残したい」という動きが録音家・出版社の間で活発になり、ビクター、コロムビア、キング、テイチクなど各社から、SL関連のレコードがリリースされていました。
第1弾でお引き受けした「1970〜80年代の時刻表 約10冊」と、本日お引き受けした「蒸気機関車のレコード」は、いずれも「SL終焉(1975年)」前後の時代を、お父様がリアルタイムで生きてこられた証拠です。時刻表でダイヤを記録し、レコードで音を記録する——記録する手段の幅が、お父様の鉄道趣味の深度を物語っています。
店主の駆け出しの頃、業界の先輩から「本の蔵書がしっかりしているお宅は、本以外にも面白いものを持っていらっしゃることが多い」と教わったことがあります。レコード、カセットテープ、フィルム写真、古い手帳、図面の類——20年やっていると、確かにその通りだなと感じます。本日のお父様のお宅も、まさにそういう蔵書のお宅でした。本だけでない、記録物の文化全体が、お父様の暮らしの中に静かに積み重なっていたのです。
レコードの買取について(正直なお話)
蒸気機関車のレコードのような鉄道録音ものは、当店でもお引き受けは可能ですが、正直、汎用的な音楽レコード(クラシック・ジャズ・歌謡曲など)と比べると、需要層がぐっと絞られるのが現実です。それでも、コアな鉄道ファンの方、SL関連の資料館・記念館、研究者の方に確実な需要があるジャンルですので、当店としては「丁寧にお預かりして、必要としている方のところへつなぐ」という気持ちで査定にあたっております。本日のレコードも、お父様が大切にされていた一枚一枚として、然るべき次の手元へとお届けしたいと思います。
第5章:重量分割搬出——「台車できついなら、回数を増やす」
本日の搬出は、第1弾の反省を活かして、徹頭徹尾「分割搬出」に徹しました。5月30日の現場では、台車のオリコンを満載に近い状態で坂を下りようとして、重量を支えきれず足を取られかける場面がありました。幸いお客様のお手伝いと、店主のとっさの判断で大事には至りませんでしたが、あれは現場としては反省すべき場面でした。本日は、その反省をしっかりと現場に反映いたしました。
「一回の積載量は控えめに、回数で稼ぐ」
具体的には——
- 一台車あたり、本の箱なら2〜3箱まで(目安で40〜50kg程度)
- レコードの箱は単独で1箱まで(振動・落下リスクを考えて慎重に)
- 急坂を下りるときは必ず後ろ向き、台車の重量を身体の前で受ける
- 急坂の途中では絶対に立ち止まらず、最後まで一気に下りきる(慣性を味方につける)
- 坂下に車を置いている関係上、坂下〜車までの平坦区間でも油断しない(慣性で台車が走り出すと止められなくなる)
結果として、本日は段ボール10箱を、おおよそ4〜5往復に分けて搬出いたしました。第1弾より一回あたりの所要時間は減りましたが、往復回数が増えた分、トータルの時間と体力はそれなりに使う段取り。ただ、安全と確実性は、効率を大幅に上回ります。転倒・落下・破損のいずれも起こさず、最後の一箱まで無事に車に積み終わったときの安堵感は、20年やっていてもやはり変わりません。
そして、本日の搬出がスムーズに進んだのには、もう一つ大きな理由がありました——お客様(お母様・お嬢様)が、店主が2箱ずつ持って坂を下りて車まで往復している間に、玄関先の和室で残りの本をどんどん箱に詰めていてくださったのです。店主が車から空のオリコンを持って戻ってくると、もう次の山が箱に詰まっている。これは本当に大きな助けでした。お父様が大切にされていたお蔵書を、ご家族のお手で次の箱へと整えながら送り出してくださる——その時間そのものが、ご家族にとっての「お父様の蔵書とのお別れの時間」でもあったように、店主は感じておりました。段取りは、店主一人ではなく、お客様とご一緒に作るもの。本日は改めて、それを学ばせていただきました。
急坂のお宅の搬出について(店主の正直なところ)
呉市内、特に旧市街・斜面住宅地のお宅は、車の入れない急坂の上にあるご自宅が珍しくありません。古本買取の業者の中には、「急坂のお宅は割が合わない」「蔵書量によっては引き受けにくい」と尻込みされるお店もあると伺います。当店は呉市が本店所在地であり、創業20年の中で呉の急坂を上り下りしてきた回数は、それなりの数になります。
「急坂だから無理」とは、当店からは原則申しません。ただし、本日のように重量分割で何往復もする段取りになることはございますので、「お引き受けに時間がかかる」「半分ずつ複数回に分けてお伺いする」というご相談は、事前にしっかりさせていただきます。無理をして事故を起こしては、お客様にもご迷惑がかかります。20年やってきて学んだのは、結局「安全と段取りこそが、お客様への誠実さ」だということです。
第6章:終了後の一服——冷たいペットボトルのお茶と、缶コーヒー
段ボール10箱を、最後の一箱まで車に積み終えました。玄関先の和室には、本日でようやくお父様の蔵書(本引き取り分)が一段落して、平積みの山がきれいになくなりました。お母様とお嬢様にご一緒に和室を見渡しながら、店主からは「これで、お父様の蔵書の本日分まで、すべてお引き受けさせていただきました。本当にありがとうございました」とご挨拶。事前訪問(5/25)→第1弾(5/30)→完結編(6/6)と、ご家族のご都合に合わせて実働3日でお引き受けした、一連のお取引でした。
お母様とお嬢様から、「お暑い中、本当にお疲れさまでした」「これ、よろしければ」と差し出していただいたのが——冷たいペットボトルのお茶と、缶コーヒー。坂を何往復もして、ちょうど汗だくになっていたところでしたので、これは本当にありがたかった。一口含んだ瞬間に、現場の緊張がふっと解けていきました。古本買取の現場で、最後にいただく一杯は——お茶でも、コーヒーでも、麦茶でも——その日の現場のお仕事を「ご縁の時間」に変えてくれる、大切な一杯です。
缶コーヒーを飲みながら、お母様がぽつりとおっしゃいました。
「実は、自宅にもまだ蔵書がございましてね。今のところすぐにどうこうという話ではないのですけれど、いずれ整理させていただく時には、また、よろしくお願いいたします」
「ご自宅」というのは、本日お伺いしたこのお宅とは別に、もう一つ、お父様の蔵書を保管しておられるご自宅が別途ある、というお話のようでした。店主は、思わず姿勢を正してお返事をいたしました。「はい、いつでも、お声をかけてください。何年先でも、何ヶ月先でも、お母様・お嬢様のご都合の良いタイミングで、改めて伺わせていただきます」と。
古本買取という仕事は、一度のお取引で完結することもあれば、こうして次のお取引へと続いていくこともある。今回はその後者のかたちで、お父様の蔵書整理の物語は、本日の完結編をもって、一旦の幕を下ろしつつ、次の章への余韻を残してくれました。
第7章:5/25・5/30・6/6——三幕構成で完結した、一連の本引き取り
5月25日の事前訪問から、本日6月6日の完結編まで、振り返ってみれば12日間の三幕構成でした。
お父様の蔵書整理・三幕構成の記録
- 第一幕:2026年5月25日(日) 事前訪問——県内の解体業者さんからのご紹介。お嬢様がGoogleで偶然当店を調べていらしたタイミングと、解体業者さんからのご紹介が一致した日。お母様の「主人が大事にしていた本だから、このまま捨ててしまうのは何とかお役に立てないかしら」というお言葉から始まる。事前訪問のブログ記事。
- 第二幕:2026年5月30日(土) 本引き取り第1弾——『日本海軍艦艇写真集』別巻共・全6巻揃(呉市海事歴史科学館図録・福井静夫コレクション傑作選)、RM LIBRARY 10〜60番台 約30冊、蒸気機関車のムック本、1970〜80年代の時刻表 約10冊、戦記単行本、『呉戦災 あれから60年』『呉空襲記』『仁義なき戦い』、呉郷土史の本——主要な蔵書を中心に半分をお引き取り。第1弾のブログ記事。
- 第三幕:2026年6月6日(土・本日) 本引き取り完結編——段ボール10箱、鉄道関係のムック本、戦記単行本の続き、そして蒸気機関車のレコード。重量分割で何往復もして搬出、終了後にお母様から冷たいペットボトルのお茶と缶コーヒー、そして「自宅にもまだ蔵書がございます」とのお声で締めくくり。
三幕構成で、と書きましたが、これは偶然そうなったのであって、最初から計画されていたわけではありません。5月25日の事前訪問でおおよその量を見て、5月30日の本引き取り当日に「半分は持ち帰り、半分は来週へ」という判断が現場で生まれ、そしてその「来週」が結果として本日になりました。古本買取の現場では、こうした「計画と実情のすり合わせ」が、お客様との信頼関係の中で生まれていきます。
本日、最後の段ボールを車に積み終えて、お母様・お嬢様にお辞儀をして、お父様邸を後にしたとき——店主の中では、12日間のお取引が、確かに一つの「ひとまとまりの物語」として完結いたしました。
第8章:「呉という街への愛着」を、本という形で受け取って
本日の帰り道、めがね橋まで戻ってきたところで、ふと歩いてきた道のりを振り返りました。海軍病院坂、入船山記念館、練兵場跡、そして御影石にしっかりと刻まれた「呉海軍病院跡」の四文字と「元海軍軍医少将 金井 泉書」の揮毫者銘——本日通ってきた一本道は、そのまま呉という街の縦の時間を辿る道でした。呉海軍工廠で建造された戦艦大和のあった海(呉湾)から、めがね橋・海軍病院坂を経て呉海軍病院跡石碑へと続くこの街の中で、お父様は艦艇・鉄道・戦記・郷土史・蒸気機関車のレコードに囲まれて、暮らしてこられた——。
第1弾の記事で、店主は次のようなことを書きました。
戦艦大和は呉海軍工廠で建造された艦艇。呉空襲・呉戦災は呉という街が受けた傷。仁義なき戦いは戦後の呉を描いた実録。『日本海軍艦艇写真集』は呉市海事歴史科学館の図録。そして呉の郷土史——。戦前の軍港としての呉、空襲で焼かれた呉、戦後の混乱の中の呉、そして今の呉。お父様は、ジャンルとして「戦記」や「軍艦」を集めていらしたのではなく、「呉」という街の時間を、本という形で縦に貫いて集めていらした——そう見えてきました。
本日、めがね橋から海軍病院坂までを歩いてみて、その推測は街の景色とも重なりました。呉という街の中で、戦艦大和の本を読み、呉空襲の本を読み、RM LIBRARYの鉄道書を読み、蒸気機関車のレコードを聴いてこられた——お父様は、まさに「呉という街そのもの」を本棚に、そしてレコード棚に、そして人生に、刻んでこられた方だったのだと、改めて感じ入っております。
めがね橋という名前が、信号機の上に今も生きているように。KURE GATEという昔風建築の小ビルが、現代の街角で営みを続けているように。大和ミュージアム周遊のボンネットバスが、れんがどおりの商店街アーケードを走り抜けるように。青山クラブが、呉市の管理で「耐震性なし・地震時離れること」と注意書きを掲げながらも、なお赤い壁を呉の空に向けて立っているように。そして、呉海軍病院跡の石碑が、元海軍軍医少将・金井泉氏の揮毫で「呉海軍病院跡」の四文字を刻みつけているように——呉という街は、本物の遺構と、戦後の記憶と、現代の演出と、そして今を生きる人々の暮らしを、一枚の地層のように重ねて持ち続けています。
お父様の蔵書は、その地層の中で「本という地層」だったのだ、と本日、改めて思いました。本棚に並ぶ一冊一冊が、街の地層のひとつひとつの層に対応していて、それらが書斎の中で呉の街の縮図のようになっていた。お父様が亡くなられて、その本棚を整理されるご家族のお気持ちは、それは寂しいものだったと拝察いたします。けれども、本棚に積み重ねられていた「呉の時間」は、確かにこうして、当店を経由して、次の読み手・聴き手のもとへと旅立っていきます。
古書店という仕事は、「街の地層を、人から人へと受け渡していく仕事」なのだと、本日、改めて静かに思っております。
本日のまとめ——呉市内本引き取り(完結編)
- 2026年6月6日(土)、呉市内のお宅へ本引き取りの完結編。5/25事前訪問・5/30第1弾からの三幕構成の最終回
- 動線は呉駅前から国道31号線を東へ、本通1丁目交差点を右折してめがね橋交差点(時差式信号機・JR呉線高架・KURE GATE・大和ミュージアム周遊のボンネットバス「れんがどおりコース」)→青山クラブ(明治36年起源・呉海軍下士官兵集会所・現呉市管理)の角を曲がって美術館通り(海軍病院坂)を上り、入船山記念館の正門と練兵場跡(入船山公園)の間、そして「呉海軍病院跡」石碑(元海軍軍医少将 金井 泉書)を経由してお父様邸へ
- 本日お預かりした蔵書は段ボール10箱。三本柱は鉄道関係のムック本(第1弾のRM LIBRARYとは別シリーズ)、戦記単行本の続き、そして本日初めて拝見した蒸気機関車のレコード(SL終焉・1975年前後の時代の鉄道録音文化を物語る一品)
- 搬出は第1弾の反省を活かして徹底的に重量分割。一台車あたり2〜3箱(40〜50kg程度)に抑えて、4〜5往復で安全に完了。坂を下りるときは必ず後ろ向き・立ち止まらず・最後まで一気に
- 終了後、お母様から冷たいペットボトルのお茶と缶コーヒー。そして「自宅にもまだ蔵書がございます」とのお声——次のお取引への余韻を残しての一旦の完結
- 本日改めて感じたのは、めがね橋から海軍病院坂まで歩いてきた呉という街並みそのものが、お父様の「呉という街そのものを本という形で集めていらした」蔵書の文脈を、何より雄弁に物語っていたということ。蔵書は、その方の暮らされた街と切り離せない
- めがね橋(海軍第一門前の境橋・地中の遺構)・青山クラブ・呉海軍病院跡石碑——本物の遺構と、KURE GATE・ボンネットバスのれんがどおりコース——演出されたレトロと、現代の信号機・時差式・通行人——現役の生活景。呉という街は、地層のように層を重ねて、今も呼吸しています
- 古書店という仕事は、その街の地層を、人から人へと受け渡していく仕事。お父様の蔵書も、本日確かに、当店を経由して次の読み手・聴き手のもとへ旅立ってまいります
呉市内・広島県内で、艦艇・海軍関連書籍、鉄道書籍(RM LIBRARY・国鉄ガイドブック・ムック本・時刻表)、戦記単行本、呉空襲・呉郷土史の本、蒸気機関車のレコード(鉄道録音)などの蔵書整理をお考えの方は、ぜひ一度0120-273-707までお電話ください。出張費・査定費すべて無料、お客様のご都合に合わせて柔軟に対応いたします。解体業者さん・不動産会社さん・遺品整理業者さん経由のご紹介も大歓迎です。創業20年・広島県古書籍商組合監査として、誠実に査定させていただきます。急坂のお宅でも、安全と段取りを大切にしてお引き受けしております。