呉市民の皆さん、ちょっとだけ考えてみてください

夜、呉の街を歩いていて、ふと北を見上げると、灰ヶ峰の山頂に丸い白い灯りが光っています。あの灯り、いつから光っているか、考えたことはありますか?

——実は、1960年代から続いているそうなのです。しかも、国の施設でライトアップされているのは全国でも非常に稀なケースだといいます(日本夜景遺産公式より)。呉市民の見慣れた風景は、知らない間に「全国でも珍しい風景」だったのです。

2026年5月27日。本日は古本買取の実績ブログではなく、当店のある呉市のシンボル的存在の山について、店主が綴る郷土コラムをお届けしたいと思います。テーマは灰ヶ峰(はいがみね)。呉市街地のすぐ北にそびえる標高737メートルの独立峰、呉市民なら誰もが知っている、しかし意外と知らないことの多いこの山について、呉市公式ホームページと日本夜景遺産公式サイトの記載を参照しながら、丁寧に綴っていきたいと思います。

長年、呉で古本屋を営んできた立場として、お客様のお宅で呉の郷土史・海軍関係・地元の昔ばなしに関する書籍を拝見する機会も多くございました。本という形になった呉の記録、そして本にはなっていない呉市民の口伝えの記憶——それらが混ざり合ったあたりに、灰ヶ峰という山の魅力があるように思います。

この記事でわかること
標高737メートルは、なぜ呉市民にとって特別な数字なのか
・灰ヶ峰の3つの夜景認定(日本夜景遺産・夜景100選・中四国三大夜景)
・山頂の白く光る丸いドーム=灰ヶ峰気象レーダー観測所の秘密
「国の施設で1960年代からライトアップ」という全国でも稀な事実
・かつての呉市民の遠足の山、そして消えたフジヤパンの赤い看板
・展望台が建つ旧海軍高角砲台跡の石積み
・呉市公認「くれ」文字カップル伝説(店主は見えたことがない、と正直に告白)
・大和ミュージアムから車で約30分・駐車場は無料6台のみ

第1章:標高737の不思議——呉の旧郵便番号と同じ数字

灰ヶ峰の標高は737メートル(呉市公式・日本夜景遺産公式ともに記載)。この数字、呉市で長く暮らしている方であれば、ピンと来るのではないでしょうか。

そう、かつて郵便番号が3桁だった時代の呉市の郵便番号「737」と、まったく同じ数字なのです。3桁郵便番号の時代は1968年から1998年まで30年間続きました。その間、呉市民は「呉の郵便番号は737」と覚え、同時に「灰ヶ峰の標高は737メートル」と覚えてきたわけです。同じ数字が、同じ町の象徴になっている——これは偶然なのですが、呉市民にとってはたいへん覚えやすい、ちょっと自慢したくなる数字の一致です。

現在は郵便番号が7桁化されており、呉市の郵便番号は「737-0XXX」「737-1XXX」「737-2XXX」など、地区ごとに細分化されています。それでも頭の3桁は変わらず「737」。灰ヶ峰の標高737メートルとともに、呉市民の心の中にしっかりと刻まれた数字です。

標高737メートルと旧郵便番号737の数字一致 図1:呉市民が誰でも知っている「737」の数字 灰ヶ峰の標高と、3桁時代の呉市の郵便番号がぴったり一致 灰ヶ峰 広島県呉市栃原町 標高 737m 3桁時代(1968〜1998) 呉市の郵便番号 〒737 (30年間続いた呉の番号) ※現在も7桁の頭3桁は737 呉市民なら誰もが知っている、ちょっと自慢の数字の一致
図1:灰ヶ峰の標高と、3桁郵便番号時代の呉市の郵便番号が、どちらも「737」でぴったり一致。これは偶然ですが、呉市民の心に深く刻まれた数字です。

第2章:自然夜景遺産・中四国三大夜景・夜景100選——三冠の山

灰ヶ峰が呉市民の山であると同時に、全国的に評価されている夜景の名所であることも、ぜひお伝えしたい事実です。呉市公式ホームページによれば、灰ヶ峰は以下の3つの夜景認定を受けています。

  • 日本夜景遺産(自然夜景遺産・中国エリア)——日本夜景遺産事務局/主宰:夜景評論家 丸々もとお氏
  • 夜景100選——夜景倶楽部代表 縄手真人氏 主宰
  • 中四国三大夜景——『じゃらん中国・四国』2003年12月号

日本夜景遺産公式サイトでは、灰ヶ峰について「絶壁眺望系の夜景名所として貴重」と評価されています。「絶壁眺望系」とは、市街地のすぐ近くにある高い山から見下ろす形の夜景のこと。同じく日本の三大夜景に数えられる函館山(標高334m)よりも、灰ヶ峰は2倍以上高いのです。それでいて、街との距離が近い。だからこそ、宝石のような街の灯り、呉港に揺れる船、月明かり——それらすべてが、まるで天上から眺めているかのように、一望できるのです。

呉市公式ホームページの文章を引用させていただきますと、こうあります。「灰ヶ峰は標高737m。日本三大夜景の函館山より2倍以上の高さがあり、その夜景は、まるで天上から眺めているようです。宝石のような街の灯り、呉港に揺れる船、そして月あかり。まさに呉のロマンチックスポットです」——呉市の観光振興課の方が書かれた文章だと思いますが、地元への愛がにじむ、たいへん美しい紹介文だと感じます。

第3章:1960年代から光る気象レーダー——全国でも稀な国施設のライトアップ

さて、ここからが本日の記事で店主が最もお伝えしたいトピックです。灰ヶ峰の山頂に建つ、白く丸いドーム。あれは気象庁の「灰ヶ峰気象レーダー観測所」です。広島県西部・瀬戸内海西部の気象観測を担う、重要な気象施設です。

JR呉駅を出ると、正面にそびえる灰ヶ峰の頂上に、あの丸く白いドームが見えます。呉市民にとっては子どもの頃から見てきた、当たり前の風景。しかし——あのドームが夜になると、白く光ってライトアップされていること、改めて意識して見たことはありますでしょうか?

JR呉駅近く・蔵本通り(呉市役所前)から見上げた灰ヶ峰、山頂の白いドーム(気象レーダー観測所)が見える
JR呉駅から徒歩すぐ・蔵本通り(呉市役所前)から見上げた灰ヶ峰。山頂に小さく見える白いドームが、本記事の主役・気象レーダー観測所。

日本夜景遺産公式が明かす、驚きの事実

日本夜景遺産の公式サイトには、灰ヶ峰の紹介文の中に、こんな一節があります。「展望台には気象庁のレーダーがあり、60年代という早い時期からライトアップがなされているが、国の施設でライトアップが行われているのは非常に稀なケースだそうである」

これを初めて読んだとき、店主としては正直、ハッとさせられました。呉市民は毎晩のように、あの白く光るドームを、当然の風景として見上げてきた。けれど実は、それは1960年代から続く、日本でも極めて珍しい「国の施設のライトアップ」だったのです。

1960年代といえば、東京タワーのライトアップ(1958年完成、ライトアップは1986年から)よりもずっと早い時期。日本のライトアップ文化が、まだほとんど始まっていない時代から、灰ヶ峰の気象レーダーは静かに光り続けてきたわけです。「夜景の名所」として灰ヶ峰が評価される根底には、半世紀以上前から続くこのライトアップがあった——そう考えると、あの白いドームの灯りが、ぐっと意味を持って見えてきます。

灰ヶ峰山頂の施設配置イメージ 図2:灰ヶ峰山頂の3つの顔 気象レーダー・旧海軍高角砲台跡・展望台が共存 ★60年代から ライトアップ 気象レーダー観測所 旧海軍 高角砲台跡 (石積み・遺構) 展望台 夜景スポット 石積みの上に
図2:灰ヶ峰山頂には、気象レーダー観測所・旧海軍高角砲台跡(石積み)・その上に建つ展望台、という3つの要素が共存しています。気象レーダーのライトアップは1960年代から続く、全国でも稀な国施設のライトアップです。

第4章:呉市民の遠足の山、そしてフジヤパンの赤い看板

少し私事と、世代の話を書かせていただきます。店主が子どもの頃、呉市の小学校の遠足の行き先といえば、灰ヶ峰でした。クラスメイトと連れ立って山道を歩き、頂上で弁当を広げる——昭和の終わりから平成初頭にかけての呉の子どもにとっては、たいへん馴染み深い体験です。

最近の呉の小学校の遠足事情がどうなっているのか、店主は把握できていないのですが、当時の呉市民に「灰ヶ峰に行ったことある?」と聞けば、ほとんどの方が「うん、遠足で」と返すはずです。標高737メートルという数字を呉市民が自然と覚えているのは、子どもの頃に登っているから——という側面もあるのではないでしょうか。

消えた風景——フジヤパンの赤い看板

そして、灰ヶ峰の話で、店主の世代以上の呉市民が必ず口にするのが、かつて灰ヶ峰の中腹にあった「フジヤパン」の赤い看板です。

フジヤパンは、呉市内の小中学校に給食パンを納めていた地元のパン工場の名前。その工場の建物か、あるいは関連施設の壁面に、山肌から見上げるとはっきり見えるほどの大きさで「フジヤパン」と赤い文字が掲げられていたのです。呉の市街地から灰ヶ峰を見上げると、緑の山肌の中に赤い文字がぽつんと浮かんでいる——あれが呉の風景でした。

現在は、看板はもうありません。フジヤパンというお店自体、現在の呉市内でどうなっているのかは店主も詳しくないのですが、あの赤い看板は呉市民の記憶にだけ残る風景になっています。同世代以上の呉市民の方とお話していて「灰ヶ峰のフジヤパンの看板、覚えてる?」と聞くと、ほぼ全員が「覚えてる!」と返してくださる。本にもなっていない、しかし呉市民の中に確実に残っている記憶——古書店としては、こうした「本になっていない郷土の記憶」こそ、いつか誰かが書き残してほしいなと感じる類の話です。

呉の小学生は、フジヤパンの工場見学に行っていた

もうひとつ、書き残しておきたい記憶があります。当時の呉の小学校では、社会見学でフジヤパンの工場にも行っていたのです。

給食で毎日食べていたのは、コッペパンだったように記憶しています。あのコッペパンが、どんな大きな機械で焼かれ、どんな風に袋詰めされていくのか——焼きたてのパンの香りが工場いっぱいに広がっていたことは、なんとなく覚えています。子ども心に「すごい」と圧倒された記憶があります。

そして、見学の最後にはお土産にパンをいただいて帰ったのです。何のパンだったか、正直なところ記憶があいまいで、もう思い出せません。それでも、「いつものパンを作っている工場で、特別にお土産までもらえる」という体験は、呉の子どもにとって誇らしくも嬉しい一日でした。

——だからこそ、灰ヶ峰の中腹に見える赤い「フジヤパン」の文字は、呉の子どもにとっては「自分たちのパンを作っている場所のしるし」。単なる看板ではなく、「あそこで、いつものパンが作られている」という身体感覚を伴った風景だったのです。看板はもうなく、お土産のパンの種類すら思い出せない——それでも、あの工場の匂いと、灰ヶ峰の赤い文字は、呉で育った世代の記憶の中に確かに残っています。

第5章:旧海軍高角砲台跡——石積みの上に建つ展望台

本記事の核となる、もうひとつの大事な歴史があります。それは、灰ヶ峰山頂の展望台が、旧日本海軍の高角砲台跡の石積みの上に建てられているということ。

日本夜景遺産公式サイトには、こうはっきりと記載されています。「標高737mは、日本三大夜景の函館山より2倍以上高い独立峰。旧海軍の高角砲台の石積みの上に展望台が建設され、呉市街地を眼下に見渡せる」「標高737mの灰ヶ峰は元々砲台があったところがおのずから市民の夜景スポットとして浸透」

呉は、明治22年(1889年)に呉鎮守府が開かれて以来、日本海軍の一大拠点として発展してきた町です。戦艦「大和」が建造された呉海軍工廠、艦船の修理・建造を担う海軍工廠群、そして呉軍港——これらを空襲から守る対空陣地として、呉周辺の山々には高角砲(高射砲)が配備されていました。灰ヶ峰山頂もそのひとつ。標高737メートル、市街地のすぐ北という地理的条件から、呉軍港・呉海軍工廠の防空において重要な位置を占めていたと考えられます。

戦後、軍事的役割を終えた高角砲台跡の石積みは取り壊されることなく、その上に展望台が建設されました。「砲台があったから、見晴らしの良い場所だった」「だから、夜景スポットになった」——という流れが、日本夜景遺産公式サイトの「元々砲台があったところがおのずから市民の夜景スポットとして浸透」という言葉に凝縮されています。

当店では、これまでに呉海軍・呉海軍工廠・帝国海軍関連の専門書を多数買取させていただいてきました(参考:江田島市で艦船模型書・帝国海軍戦記など約100冊を出張買取|呉海軍工廠で建造された空母「赤城」精密模型写真集ほか)。書物として残された呉の海軍史と、灰ヶ峰山頂に「石積みのまま残された遺構」——その両方が、呉という町の歴史を立体的に伝えています。

第6章:「くれ」文字カップル伝説——光の筋が「くれ」に読めれば

そして、最後にお伝えしたいのが、呉市公式が観光情報として公式アピールしているロマンチックな伝説。それが——「くれ」文字カップル伝説です。

呉市公式ホームページには、灰ヶ峰の紹介文の最後にこう書かれています。「光の筋が「くれ」と読めると、そのカップルは結ばれるという噂も…」。日本夜景遺産公式サイトでは、より具体的にこう記されています。「道路の明かりが"くれ"の文字に見える」「光の筋が『くれ』と読めれば、そのカップルは結ばれるという『くれ』文字カップル伝説をアピール中」

呉の街は、平地が狭く、山と海に囲まれているために、道路が複雑に入り組んでいます。山裾を縫うように走る道、港沿いの道、市街地を貫く幹線——それらが夜になると光の筋となって浮かび上がり、見る角度・タイミングによっては、ひらがなの「くれ」、あるいは漢字の「」のように読める瞬間がある——というのです。

店主は見えたことがない、と正直に告白します

正直に申し上げます。店主は、灰ヶ峰から見下ろした夜景に「くれ」と読める光の筋を、これまで見つけられたことがありません

地元の人間として、それなりの回数、灰ヶ峰には登ってきたつもりです。それでもなお、「くれ」とハッキリ読める瞬間に出会えていない——というのが事実です。これは「見える人と見えない人がいる」ということなのか、それとも「条件(季節・時間帯・天候・心の状態)が合わないと見えない」ということなのか。呉市公式・日本夜景遺産公式の双方が「アピール中」と書く以上、見える方には見えるのでしょう

あるいは、こういう伝説は、「見えた」と思い込めた人だけが幸せになれる類のものなのかもしれません。物理的に「くれ」の形になっているかどうかよりも、「見えた、と二人で言い合えた」その瞬間そのものが大事だ、と。古書店という、言葉を扱う仕事をしている立場としては、そんなふうに解釈したくもなります。

もし、これをお読みのカップルの方で、これから灰ヶ峰で夜景をご覧になる方がいらしたら——どうか、お互いの目で、お互いの心で、夜景の中の「くれ」の光を、見つけてみてください。店主に見えなくても、お二人には見えるはずです。

第7章:アクセス・駐車場・実用情報——大和ミュージアムから車で30分

最後に、実際に灰ヶ峰展望台へ行ってみたい方のために、呉市公式ホームページに掲載されているアクセス情報をまとめておきます。

車でのアクセス

  • 広島呉道路(クレアライン)呉ICから約30分
  • 呉市中心部からは、国道185号を呉越峠方面へ北上
  • 「西畑」の信号を左折して平原水源地方面に入る
  • 神山峠を抜け、気象レーダー観測所付近を目指す
  • 休山新道は通りませんのでご注意ください(呉市公式注記)

大和ミュージアム(呉市宝町5-20)からも、車で約30分で到着可能です。市街地から見上げて30分で行ける夜景スポットというのは、観光的にも貴重。ただし、山道は一部狭い箇所もあり、対向車とのすれ違いに気を遣う場面もあります。慎重に運転してください。

駐車場——意外な落とし穴

呉市公式ホームページによれば、駐車場は無料、収容台数は約6台です。たった6台。日本夜景遺産・夜景100選・中四国三大夜景の三冠を持つ夜景スポットとしては、たいへん限られた台数です。特に週末の夜・夏休み・連休の夜景時間帯は、ほぼ確実に満車になるとお考えください。

駐車場が空いていないからといって、山道の路肩に駐車するのは、対向車の通行を妨げるため避けたほうが安全です。呉市の旅タクシー夜景コース(呉市観光案内所 Tel: 0823-23-7845)など、公共サービスを使う方法もありますので、車でない手段も検討してみてください。

バスでのアクセス(参考)

呉市公式情報によれば、バスでも「神山峠」バス停下車、徒歩約1時間30分でアクセス可能とのこと。ただし、徒歩90分の登山相当の時間が必要となるため、よほどの登山愛好家でない限り、車かタクシーをおすすめします。

本日のまとめ——古書店主が灰ヶ峰について考えること

  • 灰ヶ峰は標高737メートル、呉の旧郵便番号と同じ数字
  • 日本夜景遺産(自然夜景遺産)・夜景100選・中四国三大夜景の三冠の山
  • 山頂の白いドームは気象庁の灰ヶ峰気象レーダー観測所
  • 気象レーダーは1960年代からライトアップされており、国の施設でライトアップは全国でも非常に稀(日本夜景遺産公式)
  • かつての呉市民の遠足の定番、消えたフジヤパンの赤い看板は記憶の中に
  • 展望台は旧海軍高角砲台跡の石積みの上に建つ——呉軍港防空陣地の名残
  • 呉市公認「くれ」文字カップル伝説——道路の光の筋が「くれ」「呉」に読めると結ばれる
  • アクセス:クレアライン呉ICから車で約30分・大和ミュージアムからも約30分・駐車場は無料6台のみ

本日は、当店のある呉市の心の山・灰ヶ峰について、呉市公式ホームページと日本夜景遺産公式サイトの記載を主な参照源として、長く綴らせていただきました。古本買取の実績ブログではなく、純粋な郷土コラムとして書きました。

長く呉で古本屋を続けていますと、お客様のお宅で呉の郷土史・地元写真集・旧海軍関連書籍・呉戦災誌といった本を拝見する機会が多くあります。本という形になった呉の歴史と、本にはなっていない呉市民の記憶——その両方が、灰ヶ峰という一つの山に重なっていることを、店主は古書店という立場から、不思議で愛しい現象だと感じてきました。フジヤパンの赤い看板のように、本になる前に消えていく風景もあります。誰かが書き残してくれた「呉」と、誰かの記憶の中にだけ残る「呉」——その両方を大切にすることが、地域の古書店としての務めだと考えております。

呉市内のお客様で、呉の郷土史・呉海軍関連・地元の古い写真集・戦災誌・自分史・社史などの蔵書をお持ちで、整理をお考えの方は、ぜひ一度0120-273-707までお電話ください。出張費・査定費すべて無料、本店から市内全域に出張買取でお伺いいたします。当店は呉の歴史を伝える本を、丁寧に次世代へ引き継ぐ役割を担いたいと考えております。

主な参考資料・引用元
呉市公式ホームページ「灰ヶ峰」(観光振興課・2022年2月8日更新)
日本夜景遺産 公式サイト「灰ヶ峰(自然夜景遺産・中国)」
・店主の呉での生活体験・お客様との対話からの記憶
※本記事中の事実関係は、可能な限り上記公的情報源を参照しております。記憶ベースの記述(遠足・フジヤパン看板等)は店主の体験談です。

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